2010.04.30
ストラスブール27
2010.04.28
丘に囲まれたパリ

パリは丘の間を縫うようにセーヌが蛇行する、川中島部分に作られた。
写真はモンマルトルの下の方から撮った写真であるが、モンマルトルの丘部分が実際終わるのは、サンラザール駅や、オペラ座裏あたりで、18区のいわゆるモンマルトルといわれる部分だけが丘なわけではない。
ジュヌヴィエーヴの丘にはパンテオンがあり、東はベルヴィルの丘があり、凱旋門付近も小高くなっているし、ブローニュの森を越え、セーヌをもう一度渡ると、シュレーヌ、サンクルーのあたりも、ラ・デファンスのあたりも丘になっている。
シュレーヌ、サンクルーにしろ、ベルヴィルにしろ、モンマルトルにしろ、パリの街を一望できるように、家々が建っている。
パリの中心部にいるより、パリそのものを実感できるかも知れぬ風景がある。
東西南北に丘があるわけであるから、パリ市そのものがちょっとした盆地である。
凱旋門もエッフェル塔もモンパルナスタワーもノートルダム寺院も登ってパリを眺められるが、またチョッと違う場所からパリを眺めるのもいい。
2010.04.27
サンポール・ド・ヴァンス14
2010.04.26
NO.72 aller+infinitif
今日は、先日の未来形の補足。
aller+infinitif(不定詞)は近い未来を表現しますよ!というお話しでしたな。
ご飯食べに行く予定!
映画を見に行くつもり!
この”予定”とか、”つもり”とかが、未来形たるゆえんのようにも思えるが、これをとってしまおう。
ご飯食べに行く
映画を見に行く
・・・をしに行く
という表現に、aller+infinitifが使えるのだ。
良く考えてみれば、・・・をしに行くっていうわけだから、確かに近い未来であるには違いない。
アイフォーンを買う予定
アイフォーンを買いに行く
どちらも
Je vais acheter un iPhone.
でいいわけだ。
aller+infinitif(不定詞)は近い未来を表現しますよ!というお話しでしたな。
ご飯食べに行く予定!
映画を見に行くつもり!
この”予定”とか、”つもり”とかが、未来形たるゆえんのようにも思えるが、これをとってしまおう。
ご飯食べに行く
映画を見に行く
・・・をしに行く
という表現に、aller+infinitifが使えるのだ。
良く考えてみれば、・・・をしに行くっていうわけだから、確かに近い未来であるには違いない。
アイフォーンを買う予定
アイフォーンを買いに行く
どちらも
Je vais acheter un iPhone.
でいいわけだ。
2010.04.23
パリのパワースポット2 絶対王政への足がかり
前回のサンドニとモンマルトル、ルーヴルピラミッドの1直線の話に続いて、他のラインを見てみよう。
パリといっても、直接的ではない。
今回は計算されたパワースポットではない。
ルイ14世昇竜物語である。
この、信長の茶壷、茶会権と同じく、功績のあった人に謁見権をあたえたという絶対王権にあったルイ14世。
あのヴォー・ル・ヴィコントの城の美しさに頭にきて、同じ人材を使って城を建てたことは有名である。

この場所は特に彼が選んだという場所ではなさそうだが、ここへ移り住んだことこそ、大きな権力への階段を昇り、最後はフランス革命への道筋を作ったかも知れぬ。
貴族に嫌われ、民衆に嫌われたというこの王が移り住んだヴェルサイユ宮殿は王の戴冠式を行うランスの大聖堂、パリの中心、サンジャックの塔の延直線上にある。

ある意味、ランスの大聖堂は、フランク最初の王クロヴィスが洗礼を受けた場所であるから、王家との歴史的つながりはサン・ドニより古い。
そこからパリを串刺しにした反対側にヴェルサイユの位置がある。
貴族に命を付けねらわれ、民衆には嫌われた王が、パリという旧遺物の匂いのする場所から抜け出して、別の場所に居を構えたのは、ごく自然の流れであろうが、選んだ場所がそのランス-パリライン上だったことにより、昇竜の勢いとなったのかもしれぬ。
もちろん、ヴェルサイユ宮殿を見ればわかるように、世界のその他の宮殿と比べても、馬鹿でかく、ゴージャスである。大味とさえ感じるほどだ。
これだけのものを何万の人をつぎ込んで造れば、人々の労苦、泣いた人も多かろうことは想像に難くない。
昇竜であったものの、度を外し、先祖のご加護のサンドニラインから外れたことこそ、フランス革命の引き金をひく端緒をつくる事になったのかも知れぬ。

ラインは、サンジャックの塔のあたりの上空を通過し、ルーヴルはラインから外れる。
王家の出発、巡礼の路の出発、そういったライン上に絶対王政出発点のヴェルサイユは位置しているのである。
ヴェルサイユへ居を移す際、こんなラインの話をした臣下がいたかも知れぬ。
おそらく、このサンジャックの塔の上を走っているラインを断ち切るラインが1789年前後に出来たのだろう。
そのラインはまた、おいおい探そう。
片方は、バスティーユなのかも知れぬし、そうでないかも知れぬ。
パリといっても、直接的ではない。
今回は計算されたパワースポットではない。
ルイ14世昇竜物語である。
この、信長の茶壷、茶会権と同じく、功績のあった人に謁見権をあたえたという絶対王権にあったルイ14世。
あのヴォー・ル・ヴィコントの城の美しさに頭にきて、同じ人材を使って城を建てたことは有名である。

この場所は特に彼が選んだという場所ではなさそうだが、ここへ移り住んだことこそ、大きな権力への階段を昇り、最後はフランス革命への道筋を作ったかも知れぬ。
貴族に嫌われ、民衆に嫌われたというこの王が移り住んだヴェルサイユ宮殿は王の戴冠式を行うランスの大聖堂、パリの中心、サンジャックの塔の延直線上にある。

ある意味、ランスの大聖堂は、フランク最初の王クロヴィスが洗礼を受けた場所であるから、王家との歴史的つながりはサン・ドニより古い。
そこからパリを串刺しにした反対側にヴェルサイユの位置がある。
貴族に命を付けねらわれ、民衆には嫌われた王が、パリという旧遺物の匂いのする場所から抜け出して、別の場所に居を構えたのは、ごく自然の流れであろうが、選んだ場所がそのランス-パリライン上だったことにより、昇竜の勢いとなったのかもしれぬ。
もちろん、ヴェルサイユ宮殿を見ればわかるように、世界のその他の宮殿と比べても、馬鹿でかく、ゴージャスである。大味とさえ感じるほどだ。
これだけのものを何万の人をつぎ込んで造れば、人々の労苦、泣いた人も多かろうことは想像に難くない。
昇竜であったものの、度を外し、先祖のご加護のサンドニラインから外れたことこそ、フランス革命の引き金をひく端緒をつくる事になったのかも知れぬ。

ラインは、サンジャックの塔のあたりの上空を通過し、ルーヴルはラインから外れる。
王家の出発、巡礼の路の出発、そういったライン上に絶対王政出発点のヴェルサイユは位置しているのである。
ヴェルサイユへ居を移す際、こんなラインの話をした臣下がいたかも知れぬ。
おそらく、このサンジャックの塔の上を走っているラインを断ち切るラインが1789年前後に出来たのだろう。
そのラインはまた、おいおい探そう。
片方は、バスティーユなのかも知れぬし、そうでないかも知れぬ。
2010.04.22
サンポール・ド・ヴァンス13
2010.04.21
パリのゴミ袋

ニューヨークの9.11テロからである。
ゴミ箱に爆弾が仕掛けられていないか?と確認できるようにしなければならなくなったのは。
たしか、当時、メトロのゴミ箱のデザインも変わったばかりであったのだが、そのゴミ箱は中身見えずの物であったため、ゴミ箱上部にフタがされ、ゴミ置き場がダンボールでつくられていた。
パリも、テロと無縁の場所ではない。
欧州は大抵どの国でも多かれ少なかれ民族問題はある。
いや、世界中どこででもあろう。
経済であれ、民族であれ、宗教であれ、政治であれ、資源であれ、所詮、欲との戦いである。
全身スキャナが安全のために存在すれば、のぞき見る輩もでる。
欲とは影のようなものだ。追っかけても追いつかぬ。
ある意味、このゴミ袋も人間の心の中身なのかも知れぬ。
ゴミ袋の中身が見えることを嘆いていても仕方ない。
いずれは、慣れてくるであろう。
慣れてきたときは、そこに怪しいものがあっても気が付かぬときなのかも知れぬが、まあ、人間は己自身と戦っていくしかあるまい。
不思議と、この緑のゴミ袋、目立つのだが、あまり嫌味がない。
郵便ポストが黄色のように、ゴミがあれば、緑を探す。
もう、すでに、街に溶け込んでいる。
アトリエ洗濯船前にて
2010.04.20
サンポール・ド・ヴァンス12
2010.04.19
NO.71 ”ダブリュー” と ”ドゥブルヴェ”www
先日は活用であったので、今週は頭を冷やすべく、下らぬ話を・・・。
下らぬ話の方が、語学は楽しい。
ダブリューというのは、ダブル”U”なのであろう。
ドゥブルヴェというのは、ダブル”V”なのであろう。
このところが、英語とフランス語の違いであるとか、そうではないとかの話は知らぬ。
フランス国内を旅していると、”V”という”U”にたくさん出会う。
画のタイトルであったり、彫刻に書かれている文字であったりするのだが、”U”の部分が”V”になっていることに多く出くわす。
読めない単語の”V”を”U”に置き換えると読めるのだ。
このあたり、起源は知らぬが、こんなことを考えると、”V”も”U”も元は同じであったのだろう。そもそも、形もそっくりであるのだから。
ぜひ、多くの”U”のはずの”V”をフランスで見つけてもらいたいものだ。
”Y”がイグレック・・・I grec・・・ギリシャの”I”から来ているという話もそうだが、文字に歴史ありだ。
下らぬ話の方が、語学は楽しい。
ダブリューというのは、ダブル”U”なのであろう。
ドゥブルヴェというのは、ダブル”V”なのであろう。
このところが、英語とフランス語の違いであるとか、そうではないとかの話は知らぬ。
フランス国内を旅していると、”V”という”U”にたくさん出会う。
画のタイトルであったり、彫刻に書かれている文字であったりするのだが、”U”の部分が”V”になっていることに多く出くわす。
読めない単語の”V”を”U”に置き換えると読めるのだ。
このあたり、起源は知らぬが、こんなことを考えると、”V”も”U”も元は同じであったのだろう。そもそも、形もそっくりであるのだから。
ぜひ、多くの”U”のはずの”V”をフランスで見つけてもらいたいものだ。
”Y”がイグレック・・・I grec・・・ギリシャの”I”から来ているという話もそうだが、文字に歴史ありだ。
2010.04.16
日本人が日本人になる
日本人にとってパリが美しいわけは、日本人日本の感性とかけはなれているからである。
即ち、自分が日本人であるからに他ならない。
しかし、自分がいかに日本のことを知らないかを知らせてくれる場所なのでもある。
即ち、パリは私たちを日本人にしてくれる場所である。
外国というところは、長くいればいるほど、自分が日本人であることを意識せざるを得ない回数が増える。
はっきり言えば、これだけは、どれだけネットで海外の写真や映像を見ても、体感できない感覚なのである。
感性がはなれているから、あこがれるのと同様、パリに限らず、海外が嫌いになって帰国する人も多い。
とくに、パリにあこがれる人は多いから、ギャップの大きい街でもある。
パリ症候群というやつである。

企画されたツアーで、一通り、観光地を日本語ガイドと共に回ることもできる。
海外の文化に触れることも楽しいが、京都奈良のツアーに出かけるのと同じような、日本人だけの環境では、少々さみしい。
海外の新鮮さの大きな部分に、自分が日本人であるということを実感する瞬間があることではないかと思うのである。
海外なんぞ行かなくても、日本にいい所はいっぱいある。オレは日本人で充分!という人もいるだろう。
しかし、日本人だけがいる日本においては、日本人であることを意識する必要などあまりない。
日本人が日本人であるのは日本以外にいる時なのである。
ここまで、まあ、同じような話を繰り返してきたが、ああ、そうそう!と思える方は、海外で生活したか、長期間の旅に出た人だろう。
そして、日本のこと、日本の評価、日本人として、熱くなったことが、何かを感じたことが、あるだろう。
有名観光地をただ見て回ることも旅の楽しさだ。
海外に行くということは、日本を知るということでもあるのだ。
ガイドブックにも、ツアー旅程表にも書いてない、ネットではわからないこのことが、大きな事に思えてならぬ。
百聞は一見にしかず、とは良く言ったものだ。
一見とはもちろん、ただ見るだけの事ではあるまい。
即ち、自分が日本人であるからに他ならない。
しかし、自分がいかに日本のことを知らないかを知らせてくれる場所なのでもある。
即ち、パリは私たちを日本人にしてくれる場所である。
外国というところは、長くいればいるほど、自分が日本人であることを意識せざるを得ない回数が増える。
はっきり言えば、これだけは、どれだけネットで海外の写真や映像を見ても、体感できない感覚なのである。
感性がはなれているから、あこがれるのと同様、パリに限らず、海外が嫌いになって帰国する人も多い。
とくに、パリにあこがれる人は多いから、ギャップの大きい街でもある。
パリ症候群というやつである。

企画されたツアーで、一通り、観光地を日本語ガイドと共に回ることもできる。
海外の文化に触れることも楽しいが、京都奈良のツアーに出かけるのと同じような、日本人だけの環境では、少々さみしい。
海外の新鮮さの大きな部分に、自分が日本人であるということを実感する瞬間があることではないかと思うのである。
海外なんぞ行かなくても、日本にいい所はいっぱいある。オレは日本人で充分!という人もいるだろう。
しかし、日本人だけがいる日本においては、日本人であることを意識する必要などあまりない。
日本人が日本人であるのは日本以外にいる時なのである。
ここまで、まあ、同じような話を繰り返してきたが、ああ、そうそう!と思える方は、海外で生活したか、長期間の旅に出た人だろう。
そして、日本のこと、日本の評価、日本人として、熱くなったことが、何かを感じたことが、あるだろう。
有名観光地をただ見て回ることも旅の楽しさだ。
海外に行くということは、日本を知るということでもあるのだ。
ガイドブックにも、ツアー旅程表にも書いてない、ネットではわからないこのことが、大きな事に思えてならぬ。
百聞は一見にしかず、とは良く言ったものだ。
一見とはもちろん、ただ見るだけの事ではあるまい。
2010.04.15
サンポール・ド・ヴァンス11

これも真っ暗だった失敗写真をレタッチしたものだ。
単純に、暗い写真を明るくしたのである。
すると、よみがえった。
とはいえ、実際の写真とは、多少色合いが違うカも知れぬが、雰囲気はわかるし、ほぼ見えなかった子供や、父親?のジーンズらしき服も確認できる。
どうしても、石に囲まれた路地裏は物悲しい冷たい感じがある。
だから、こうして緑をホテルのレストラン入り口などに飾るのだろう。
とにかく、雰囲気はわかる写真にまでなってよかった。
カメラは光を写し取る。
だから、暗い部分では、光を充分取り込むためには明るいところより、時間がかかる。
それゆえ、シャッタースピード(光を取り込む時間)が遅くなってブレるか?シャッタースピードを手ぶれしないように早くして、暗い写真が取れてしまうか?のどちらかになってしまう。
前回も言った様に、カメラはピントを合わせた中心部分を重点的に光の量を判断するから、中心部分が必要以上に明るければ、その他の部分は暗く写ってしまう。
そんなことをちょっと考えながら、シャッターを切るだけで、大事な、大金をはたいて行った海外旅行の写真が失敗となる確率は減る。
わしの周りでも、わしと同様、真っ暗けの写真や、石壁の反射で真っ白に飛んでしまった写真。
暗くて、手ぶれで何がなんやらわからぬステンドグラスなどなどいっぱい撮ってきてくれる知り合いも多い。
シャッタースピードと絞り云々というのがわかれば、簡単に対処できるのだが、考えるのが面倒な御仁は、デジカメも感度をいじれるのだから、画像が手ぶれしちゃったのなら、感度を上げればいいのである。昔なら、フィルム交換するまで、感度変更できなかったが、今は便利だ。
2010.04.14
谷を抜けて
2010.04.13
サンポール・ド・ヴァンス10

サンポールの村の通りである。
下の方が目が粗くなっているのだが、実は、写真の出来上がりが真っ黒であったのだ。
かろうじて、上部のみ路地であることがわかる写真であった。
ここまで、回復すれば、きれいな写真ではないけれど、雰囲気はわかる。
今やデジカメの時代だから、帰国後真っ黒けということはあまりない。
その場で確認できるだけでも、大事な写真がパーになる確率は時代の進歩のお陰である。
こうしたことが起こる最大の理由は、空が明るく、通りが暗いからである。
写真の中央部は明るいので、カメラ任せのシャッターを切ると、手前の通りが真っ黒けになってしまうのだ。
全自動で撮る場合でも、
最も写したい部分にピントを合わせて半押しし、半押ししたままカメラを動かして構図を決め、そのままシャッターボタンを押し込むように撮るべきなのだ。
こんなことは、ちょっとカメラを触ったひとなら、知っていることだが、カメラに興味がなければ、知らない人も多かろう。
私のカメラは壊れている!
私のカメラはきれいに撮れない!
私のカメラは結うことを聞かない!
安いカメラだから、写真が撮れない!
なんてことはない。
手ぶれも失敗写真も、撮る側の腕のせいであることが圧倒的に多いのだ。
じつは、旅先では、背後から光が均等に当たっている状態で、反射も適度という、カメラにとって好都合な条件下で写真を撮ることの方が少ないのである。
そんな条件だからこそ、雰囲気のいい所なのだ。
2010.04.12
NO.70 ir動詞
終わるという単語finirの活用。
Je finis (フィニ)
Tu finis (フィニ)
Il finit (フィニ)
Nous finissons (フィニッソン)
Vous finissez (フィニッセ)
Ils finissent (フィニッス)
単数形の語尾はSSTシリーズである。
この単数形の形はSSTシリーズ以外にもいくつかあるが、パターンで覚えてしまうのも手だ。
他のパターンが出てこないと、ここでシリーズの話をしても、何だかなぁの話だが、まあ、なんかシリーズがあるらしいでいい。
複数形はssとダブっている。
なぜダブっているかは、音をスと発音するためだ。
sが一つでは、母音にはさまれたsになるから、フィニゾン、フィニゼ・・となってしまう。
このあたりは教科書にお任せしておこう。
さて、このir動詞を第2群規則動詞といったりする。
第1群規則動詞・・・er動詞
第2群規則動詞・・・ir動詞
第3群不規則動詞・・・re動詞他
だが、実際、規則動詞と言ったところで、そう多くはない。
フランス語がそこそこできる人なら、ir動詞をいくつか言えるだろうが、幾つ思い出せるか言ってごらん、といったところで、10個思い出すのも大変だろう。
30個も出てきたらプロ中のプロだ。
また、第3群不規則動詞といったからといって、完全に活用が単独で存在しているわけではなく、幾つかの単語は同一の活用をする。
êtreやavoirやallerはそうとう特殊なのだ。
そういう意味では、ir動詞といったって、不規則動詞とそう変わりはない。
だから、重要じゃないよ!という意味では全くなく、er動詞もたくさんあって、ir動詞もたくさんあって、不規則もあって大変!と思わないことだ、という程度の話である。
さて、ir動詞を、30冊ほどの日仏で使われている教科書から、わしが抜き出して、頻出どの高いものから並べてみる。
01.choisir (選ぶ)
02.réussir (成功する)
03.réfléchir (考える)
04.remplir (満たす)
05.finir (終わる)
06.obéir
07.guérir
08.agir
09.applaudir
10.ralentir
11.saisir
12.fournir
13.maigrir
14.nourrir
15.accomplir
16.établir
17.grandir
18.grossir
19.réunir
20.aboutir
さてさて、上位ランク20を表示してみた。
後半は結構難しい単語が並ぶ。
レベル2以上で現れる単語が多い。
何年もフランス語をやっていれば、目にしている単語であろうが、規則活用であるir動詞20個言ってみて!といわれて、なかなか出てこないだろう。
これで全てのir動詞ではないが、この20個を覚えちゃえば、ir動詞プロといえる。
こんな状況であるから、大抵、このir動詞の説明は、どの教科書でもfinirが使われるのだ。
最初は、上位5つほどで充分だ。
旅行でもレストランやショッピングで使える単語だから、覚えておいて損はない。
さてさて、ir動詞には、2種類ある。
規則活用するir動詞と、不規則活用するir動詞である。
もちろん、ここでの話は第2群規則動詞のir動詞である。
そして、実は既に、irの不規則活用の動詞をいくつかやっている。
avoirとvenirである。
語尾がoirで終わる動詞などもそうであるが、irで終わる動詞の多くは、実は不規則活用なのである。あわてずとも、ゆっくりやっていけばよいのだ。
余談だが、先ほどのリスト、13番目のmaigrirはやせる。18番目のgrossirは太るである。
maigleとgrosという形容詞(やせている、ふとっている)は、授業中に出会うであろう形容詞であるから、意外と覚えやすいに違いない。
そうすれば、上位の5つとあわせて、7つ覚えられる。(笑)
Je finis (フィニ)
Tu finis (フィニ)
Il finit (フィニ)
Nous finissons (フィニッソン)
Vous finissez (フィニッセ)
Ils finissent (フィニッス)
単数形の語尾はSSTシリーズである。
この単数形の形はSSTシリーズ以外にもいくつかあるが、パターンで覚えてしまうのも手だ。
他のパターンが出てこないと、ここでシリーズの話をしても、何だかなぁの話だが、まあ、なんかシリーズがあるらしいでいい。
複数形はssとダブっている。
なぜダブっているかは、音をスと発音するためだ。
sが一つでは、母音にはさまれたsになるから、フィニゾン、フィニゼ・・となってしまう。
このあたりは教科書にお任せしておこう。
さて、このir動詞を第2群規則動詞といったりする。
第1群規則動詞・・・er動詞
第2群規則動詞・・・ir動詞
第3群不規則動詞・・・re動詞他
だが、実際、規則動詞と言ったところで、そう多くはない。
フランス語がそこそこできる人なら、ir動詞をいくつか言えるだろうが、幾つ思い出せるか言ってごらん、といったところで、10個思い出すのも大変だろう。
30個も出てきたらプロ中のプロだ。
また、第3群不規則動詞といったからといって、完全に活用が単独で存在しているわけではなく、幾つかの単語は同一の活用をする。
êtreやavoirやallerはそうとう特殊なのだ。
そういう意味では、ir動詞といったって、不規則動詞とそう変わりはない。
だから、重要じゃないよ!という意味では全くなく、er動詞もたくさんあって、ir動詞もたくさんあって、不規則もあって大変!と思わないことだ、という程度の話である。
さて、ir動詞を、30冊ほどの日仏で使われている教科書から、わしが抜き出して、頻出どの高いものから並べてみる。
01.choisir (選ぶ)
02.réussir (成功する)
03.réfléchir (考える)
04.remplir (満たす)
05.finir (終わる)
06.obéir
07.guérir
08.agir
09.applaudir
10.ralentir
11.saisir
12.fournir
13.maigrir
14.nourrir
15.accomplir
16.établir
17.grandir
18.grossir
19.réunir
20.aboutir
さてさて、上位ランク20を表示してみた。
後半は結構難しい単語が並ぶ。
レベル2以上で現れる単語が多い。
何年もフランス語をやっていれば、目にしている単語であろうが、規則活用であるir動詞20個言ってみて!といわれて、なかなか出てこないだろう。
これで全てのir動詞ではないが、この20個を覚えちゃえば、ir動詞プロといえる。
こんな状況であるから、大抵、このir動詞の説明は、どの教科書でもfinirが使われるのだ。
最初は、上位5つほどで充分だ。
旅行でもレストランやショッピングで使える単語だから、覚えておいて損はない。
さてさて、ir動詞には、2種類ある。
規則活用するir動詞と、不規則活用するir動詞である。
もちろん、ここでの話は第2群規則動詞のir動詞である。
そして、実は既に、irの不規則活用の動詞をいくつかやっている。
avoirとvenirである。
語尾がoirで終わる動詞などもそうであるが、irで終わる動詞の多くは、実は不規則活用なのである。あわてずとも、ゆっくりやっていけばよいのだ。
余談だが、先ほどのリスト、13番目のmaigrirはやせる。18番目のgrossirは太るである。
maigleとgrosという形容詞(やせている、ふとっている)は、授業中に出会うであろう形容詞であるから、意外と覚えやすいに違いない。
そうすれば、上位の5つとあわせて、7つ覚えられる。(笑)
2010.04.09
パリのパワースポット
パリにピラミッドがある。
ミッテラン大統領のグランルーヴル計画によって、忽然と?現れたピラミッドである。
ここがピラミッドの形ですから、ピラミッドパワーでパワースポットです。
というだけの話ではない。
が、このピラミッドの話である。

このピラミッド、先ほど言った、ミッテラン大統領のグラン・ルーヴル計画によって作られたものであるが、ミッテラン大統領は他にも、グランド・アルシュという、凱旋門を造っている。
相撲大好きの当時のシラク・パリ市長が、大好きな相撲もできるベルシー体育館を対抗意識で造ったのもこのころだ。
このグランドアルシュ、エトワール凱旋門、カルーゼル凱旋門、ルーヴルのピラミッドは1直線に並ぶのは、ご存知の方も多かろう。そこを延びる坂道をシャンゼリゼ通りという。
1直線のパワースポットといえば、御陵と明治神宮、皇居が一直線であるとか、日光と江戸城のラインであるとか、最近話題の話である。
このピラミッド、実はもう一本のパワーラインによって、ここに作られたのではないか?と考えたのである。無論、わしの勝手な夢想といえる仮説ではある。
この、グラン・ルーヴル計画で、ルーヴルの地下が改造されたわけだが、一番の目玉は、このルーヴルの遺構を見ることが出来ることだ。
モナリザとミロのヴィーナスを見に行った観光客、ドラクロワ、アングル、ジェリコー、ダヴィド、ルーベンス、フェルメール・・・と絵画をゆっくり見たい観光客にとって、このパワースポットであるピラミッドの下は、どの方向へ行って良いか迷う、迷宮の入り口でしかない。
迷った挙句にこの、ルーヴルの遺構ゾーンへ入ってしまうと、なんだよ!と、延々ナトリウム灯風のライトに照らされた壁壁壁を見せられることとなる。

このルーヴルの歴史は、砦から始まる。
フィリップ2世という王様が、ここへ要塞を作らせたのである。
このフィリップ2世は、久々に英国軍に勝利したフランスの威権拡大した王様であるが、古いパリの城壁遺構が残っていることで、パリを城壁で囲んだ王としても名が残る。
当然ライバルは英国であるが、この英国は、ノルマンディー公爵が英国にわたって王様になった家柄であり、ノルマンディーは英国領といえる状態であったから、セーヌを遡られれば、あっという間にパリになってしまうのである。
現在のモネの家あたりまで、イギリス支配地であったといえるわけだ。まあ、パリ郊外といえる場所である。
シテ島に攻め込んできた、ヴァイキングとの戦いを考えて、ここへ要塞を造ったのだろう。ヴァイキング侵攻以来の知恵であり、懸案事項でもあったのだろう。
なんといっても、この英王は、そのヴァイキングの子孫なのである。
ヴァイキングがノルマンディを獲得し、海を渡って英王になったのである。
その右岸に要塞を建設するにおいて、ご先祖のご利益を考えたのではないか?という発想をしてみたわけである。
フランスの守護聖人、聖ドニが葬られた場所は、サン・ドニ大聖堂の位置だ。

この、サン・ドニが殉教した場所が、モンマルトルの丘である。
この二つを結ぶ線を延ばした一直線上に、このルーヴルは存在する。もっと言えば、ミッテランのピラミッドはこの一直線上に存在するのである。
フィリップ2世の父ルイ7世
ルイ7世の父ルイ6世
このルイ6世のご学友がサン・ドニ大修道院長のシュジェールであり、ルイ7世の家庭教師であり、実質の宰相ともいえる人である。
サンドニ大聖堂のステンドグラスに描かれるまでになる、このシュジェールの影響下で、サン・ドニの権威はすばらしかったであろうし、しかも、この、サン・ドニ大聖堂はフランス王家の墓所でもあるのだ。
代々のフランス王家のご加護が得られますように!と考えたとしても、何の不思議もない。

先ほどの日本の一直線の話とは、こちらの一直線の話が、わかりやすい凱旋門シャンゼリゼ通りの一直線より近い発想だ。
御陵-神宮-皇居
墓所-殉教の丘-宮殿
さてさて、ピラミッドだ。ここの地下の大改造計画において、ピラミッドである必要性はなかったであろう。
しかし、ここをパワースポットと認定して、計画が練られたのであれば、パワーの源であるピラミッド形は偶然の産物ではあるまい。
ダ・ヴィンチ・コードの映画でも、ここのシーンがあったと思うが、もちろん、このお話、王家の血の話であり、映画の最中にも出てくる王、ダゴベール王が建設したサンドニ大聖堂とルーヴルピラミッドが一直線なのも、なんとなく偶然では済まされぬ気がするのである。
サン・ドニ、フランス王家、フィリップ2世、ナポレオン、そして、ミッテラン政権。そういったものが、一点に集まる交点にピラミッドがあるといえるのだ。
むろん、モンマルトルの丘のサクレクール寺院、サンドニ大聖堂、凱旋門らもパワースポットに違いない。
ただ、こう聞けば、日本人観光客にとって、何の意味も持たなかった、フィリップ2世の城壁を眺めずして、ルーヴルは去りがたくなるに違いない。
ミッテラン大統領のグランルーヴル計画によって、忽然と?現れたピラミッドである。
ここがピラミッドの形ですから、ピラミッドパワーでパワースポットです。
というだけの話ではない。
が、このピラミッドの話である。

このピラミッド、先ほど言った、ミッテラン大統領のグラン・ルーヴル計画によって作られたものであるが、ミッテラン大統領は他にも、グランド・アルシュという、凱旋門を造っている。
相撲大好きの当時のシラク・パリ市長が、大好きな相撲もできるベルシー体育館を対抗意識で造ったのもこのころだ。
このグランドアルシュ、エトワール凱旋門、カルーゼル凱旋門、ルーヴルのピラミッドは1直線に並ぶのは、ご存知の方も多かろう。そこを延びる坂道をシャンゼリゼ通りという。
1直線のパワースポットといえば、御陵と明治神宮、皇居が一直線であるとか、日光と江戸城のラインであるとか、最近話題の話である。
このピラミッド、実はもう一本のパワーラインによって、ここに作られたのではないか?と考えたのである。無論、わしの勝手な夢想といえる仮説ではある。
この、グラン・ルーヴル計画で、ルーヴルの地下が改造されたわけだが、一番の目玉は、このルーヴルの遺構を見ることが出来ることだ。
モナリザとミロのヴィーナスを見に行った観光客、ドラクロワ、アングル、ジェリコー、ダヴィド、ルーベンス、フェルメール・・・と絵画をゆっくり見たい観光客にとって、このパワースポットであるピラミッドの下は、どの方向へ行って良いか迷う、迷宮の入り口でしかない。
迷った挙句にこの、ルーヴルの遺構ゾーンへ入ってしまうと、なんだよ!と、延々ナトリウム灯風のライトに照らされた壁壁壁を見せられることとなる。

このルーヴルの歴史は、砦から始まる。
フィリップ2世という王様が、ここへ要塞を作らせたのである。
このフィリップ2世は、久々に英国軍に勝利したフランスの威権拡大した王様であるが、古いパリの城壁遺構が残っていることで、パリを城壁で囲んだ王としても名が残る。
当然ライバルは英国であるが、この英国は、ノルマンディー公爵が英国にわたって王様になった家柄であり、ノルマンディーは英国領といえる状態であったから、セーヌを遡られれば、あっという間にパリになってしまうのである。
現在のモネの家あたりまで、イギリス支配地であったといえるわけだ。まあ、パリ郊外といえる場所である。
シテ島に攻め込んできた、ヴァイキングとの戦いを考えて、ここへ要塞を造ったのだろう。ヴァイキング侵攻以来の知恵であり、懸案事項でもあったのだろう。
なんといっても、この英王は、そのヴァイキングの子孫なのである。
ヴァイキングがノルマンディを獲得し、海を渡って英王になったのである。
その右岸に要塞を建設するにおいて、ご先祖のご利益を考えたのではないか?という発想をしてみたわけである。
フランスの守護聖人、聖ドニが葬られた場所は、サン・ドニ大聖堂の位置だ。

この、サン・ドニが殉教した場所が、モンマルトルの丘である。
この二つを結ぶ線を延ばした一直線上に、このルーヴルは存在する。もっと言えば、ミッテランのピラミッドはこの一直線上に存在するのである。
フィリップ2世の父ルイ7世
ルイ7世の父ルイ6世
このルイ6世のご学友がサン・ドニ大修道院長のシュジェールであり、ルイ7世の家庭教師であり、実質の宰相ともいえる人である。
サンドニ大聖堂のステンドグラスに描かれるまでになる、このシュジェールの影響下で、サン・ドニの権威はすばらしかったであろうし、しかも、この、サン・ドニ大聖堂はフランス王家の墓所でもあるのだ。
代々のフランス王家のご加護が得られますように!と考えたとしても、何の不思議もない。

先ほどの日本の一直線の話とは、こちらの一直線の話が、わかりやすい凱旋門シャンゼリゼ通りの一直線より近い発想だ。
御陵-神宮-皇居
墓所-殉教の丘-宮殿
さてさて、ピラミッドだ。ここの地下の大改造計画において、ピラミッドである必要性はなかったであろう。
しかし、ここをパワースポットと認定して、計画が練られたのであれば、パワーの源であるピラミッド形は偶然の産物ではあるまい。
ダ・ヴィンチ・コードの映画でも、ここのシーンがあったと思うが、もちろん、このお話、王家の血の話であり、映画の最中にも出てくる王、ダゴベール王が建設したサンドニ大聖堂とルーヴルピラミッドが一直線なのも、なんとなく偶然では済まされぬ気がするのである。
サン・ドニ、フランス王家、フィリップ2世、ナポレオン、そして、ミッテラン政権。そういったものが、一点に集まる交点にピラミッドがあるといえるのだ。
むろん、モンマルトルの丘のサクレクール寺院、サンドニ大聖堂、凱旋門らもパワースポットに違いない。
ただ、こう聞けば、日本人観光客にとって、何の意味も持たなかった、フィリップ2世の城壁を眺めずして、ルーヴルは去りがたくなるに違いない。
2010.04.08
サンポール・ド・ヴァンス09
2010.04.07
シュザンヌ・ビュイッソン公園

モンマルトルの丘というのは、殉教Martyreの山Montからきているらしい。
Mont Martyreだったのだろう。
現在のMontmartreにはyが抜け落ちている。
パリの9区から延びる坂道Martyre通りというのもある。
殉教したのは、サン・ドニさん、即ち、聖ドニである。
そのサン・ドニさんが首を切られたのがこの丘なのである。
ここから、首をもって、自身でサン・ドニ大聖堂の場所まで行ったというお話だ。
それゆえ、サン・ドニさんはつねに自分の首をもっている像なのである。
その像がある公園が、モンマルトルの北西部にある。
このあたりになると、観光客は激減する。
サン・ドニさんが向いている方向が、サクレクール寺院の方であるのは、そこが殉教の場所であるからかも知れぬが、わしの場合、このサンドニ像の目の前のペタンク場を眺めているように見えるのである。
首を持つというおどろおどろしい話であるが、この像は、”おい、そこを、狙いなさい!””そう、熱くなりなさんな!”と言っていそうなほど、のどかである。
2010.04.06
サンポール・ド・ヴァンス08

城壁の外側?に位置する家々である。
地震のないフランスでは、こんなところに?というような場所に、家があったり、教会があったりする。
教会の場合は、俗世間とはなれた場所で静謐を求める傾向にあるが、人と違う事が重要視されるフランスでは、とかく、こういった場所は好まれるかも知れぬ。
チョッと違った何かを求めるのは、最近の日本人にもある。
ある意味、自己顕示しあうという土壌においては、オンリーワンは大変楽しいものであるが、日本の場合、オンリーワンはカッコがいいが、場合によって、相手にされぬかも知れぬ不安が常に付きまとう。
このあたりは大きな文化の差で、実は大きな感性の溝があるかも知れぬ。
この溝がとれたとき、単なる旅行という贅沢が興味に変わる。
異空間で贅沢をするというものを、自空間に置き換えて考えると、旅も人生も一時的でも深化する。
2010.04.05
今年の桜
2010.04.02
乗り継ぎ便でパリへ行く19
パリへもっていく荷物はなるべく少ない方がいい。
運ぶのが楽だからだ。
航空便でフランスの宿まで運びますという人ならともかく、空港まで宅配であったとしても、荷物を受け取ってから、フランスについてから、荷物は運ばねばならぬ。
ましてや、乗継の格安便を使って行こうという人には、空港まで宅配で送ろうという人すら少なかろう。
乗継便を賢く利用するためには、乗継地の免税店を上手に利用することだ。
パリへ行くにしても、目的地とはまたまったく別のお国を体験できるチャンスでもあり、場合によっては、格安に物品を仕入れることが出来る。
パリに着くのが日曜日、シャルルドゴール到着が夕方以降でパリ着は夜になってしまう人は、食料他を寄港地で買っておく手もある。
また、タバコにしても、パリに持ち込める最大限、(おそらく現時点で200本)は、寄港地でも、出国時に日本の免税店でも買うことも出来る。
日本の免税店なら、もちろん、直行便の人でも利用可能だ。
ドバイなどは、夜中に乗換になるのが当たり前の空港だから、免税店はやっているが、場所によっては、夜早朝などで、免税店がやっていない事もありえるので、行きかえりの寄港地到着時間はチェックしておくべきだろう。
他、必ずしも、行きと帰りに同じお店のあるターミナルを通るとは限らない空港もあり得るし、フランスとは違うお土産を手に入れるためにも、帰りの時間チェックは大事である。どうしても欲しいものが重くないのなら、先に手に入れてしまったほうがいいこともある。
行きは欧州行きの飛行機に乗るのであり、帰りは日本行きの飛行機に乗るのであるから、当然、ターミナルやゲート、登場方法がバス移動してタラップからなど、行きと帰りは必ずしも一致するとは限らない。
事件、天候、警備、工事、遅延、機材変更などでも、普段と変わってしまうこともある。
寄港地で、現地のお菓子なんぞを、ワンのつまみ用に買っていくのもいいかも知れぬ。
髭剃りのムースや化粧品類など、忘れ物も手に入れられることもあるが、もちろん、生活するためのコンビニと免税店は存在意義が違うから、何でもそろうというわけには行かぬが。
運ぶのが楽だからだ。
航空便でフランスの宿まで運びますという人ならともかく、空港まで宅配であったとしても、荷物を受け取ってから、フランスについてから、荷物は運ばねばならぬ。
ましてや、乗継の格安便を使って行こうという人には、空港まで宅配で送ろうという人すら少なかろう。
乗継便を賢く利用するためには、乗継地の免税店を上手に利用することだ。
パリへ行くにしても、目的地とはまたまったく別のお国を体験できるチャンスでもあり、場合によっては、格安に物品を仕入れることが出来る。
パリに着くのが日曜日、シャルルドゴール到着が夕方以降でパリ着は夜になってしまう人は、食料他を寄港地で買っておく手もある。
また、タバコにしても、パリに持ち込める最大限、(おそらく現時点で200本)は、寄港地でも、出国時に日本の免税店でも買うことも出来る。
日本の免税店なら、もちろん、直行便の人でも利用可能だ。
ドバイなどは、夜中に乗換になるのが当たり前の空港だから、免税店はやっているが、場所によっては、夜早朝などで、免税店がやっていない事もありえるので、行きかえりの寄港地到着時間はチェックしておくべきだろう。
他、必ずしも、行きと帰りに同じお店のあるターミナルを通るとは限らない空港もあり得るし、フランスとは違うお土産を手に入れるためにも、帰りの時間チェックは大事である。どうしても欲しいものが重くないのなら、先に手に入れてしまったほうがいいこともある。
行きは欧州行きの飛行機に乗るのであり、帰りは日本行きの飛行機に乗るのであるから、当然、ターミナルやゲート、登場方法がバス移動してタラップからなど、行きと帰りは必ずしも一致するとは限らない。
事件、天候、警備、工事、遅延、機材変更などでも、普段と変わってしまうこともある。
寄港地で、現地のお菓子なんぞを、ワンのつまみ用に買っていくのもいいかも知れぬ。
髭剃りのムースや化粧品類など、忘れ物も手に入れられることもあるが、もちろん、生活するためのコンビニと免税店は存在意義が違うから、何でもそろうというわけには行かぬが。
2010.04.01
サンポール・ド・ヴァンス07
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