2010.02.26

フランスの閉店時間

日本では、8時閉店なら7時50分にいって買い物をすることはなんら問題ない。
が、フランスの場合、そうは行かぬことも多々ある。


なにせ、閉店時間近くに来られたら、閉店時間にお店を閉められないとこになるからでもある。


スーパーも閉店10分前には入れなくなっていることも良くあるし、デパートのテナントの店員のお兄さんに、今日は約束があるから、買うのなら早くしてね!と閉店15分前に言われることもある。
まず、日本ではありえぬ言動だ。



日本では、おそらく、会社によって、6時終業でも6時ピッタリにタイムカードをおすことはおろか、その時間に机を離れることも、許されぬ雰囲気の職場は多い。
それどころか、15分単位でつく残業代も、30分以下は残業といわぬ!すなわち45分未満は残業にならぬという、そういった会社もあるだろう。
場合によって、法違反であるとは思うのだが、こういったところも日本らしい。

すぐにはタイムカードは押せぬから、とはいっても、仕事もしたくないから、トイレに行って、タバコを吸って、ネットを見て、携帯をチェックして・・・なんとも無駄な時間を浪費している人も多かろう。
むろん、残業と違って、1秒の遅刻も許されぬし、仕事を始める前に、同僚と握手して回るなんて時間は許されぬ。
タイムカードに、労使共に、日本の世知辛さが垣間見える。



ところが、フランスでは、衝撃的にも、お店は時間ピッタリ(ちょっと前?)で終わる。すべてではないだろうが。
最後のお客さんが、まだ残っていて・・・ということは、未然に防いでいるのだろう。


日本人もサービス残業したくないが、顔に出せぬ。顔に出るか出ないかの違いであって、働く人の気持ちにあまり違いはないようにも思える。


たしかに、最後の一人のお客のために、店の電気を煌々とつけ、人を残しておくのは、非経済であるに違いない。
ピッタリ仕事が終われば、人とも待ち合わせしやすいし、夜の時間の経済効果に貢献しているかも知れぬ。


そういえば、フランスの労働時間を法で短くしても雇用は増えなかったようだ。
短くなったら、短くなったなりに、皆仕事をこなすのである。
そもそも、血相変えて100%で働くわけではないから、程度によってはこういうことは十分ありえる。机上では数値化しづらい部分がたくさん世の中にはある。
程度の差はあれ、生活は守りたい。ワークシェアリングは、なかなか難しいのだろう。
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2010.02.25

カーニュ・シュル・メール14

100225
上り坂は目線が下にゆきがちで、下り坂は目線が下にゆく・・・なんてことはない。
昇りは大変だから、足元に目線は行くが、くだりは、足元に行かないといったほうが正確だ。

だから、気分は晴れやかになるし、屋根や遠くの景色に目を配ることが出来る。
したがって、脚をくじかぬように、かえって注意が必要だ。

写真を見ても明らかだが、遠くの建物に目線が合いやすいものだ。
2010.02.24

フランスの行列

とにかく、フランス人は並ぶのが好きだという話を聞いたことがある。
確かに行列は多い
が、実際のところ、行列になってしまっていることの方が多いような気もする。



たとえば、スーパーのレジでも、並んでいるからといって、お客さんがレジのお姉さんを無言の早くしてよ!”と睨んだりすることは日本のようにはないし、レジのお姉さんも、血相変えて、レジ打ちすることはない。
無論、程度によっては、お客さんもイライラするが、日本のレベルとそこはだいぶ違う。
せっかちな日本人から見ても、おまえ!イラツキ過ぎだろ!という人がいるのもまた事実であるが・・・。
そもそも、並ぶお客の数より、窓口の数が少ないのだ。日本的に考えれば、そういうことになる。



それでも、大手のスーパーなどは、商品点数が少ない人用の窓口を作ったり、営業努力の後がうかがえるところもある。
この商品点数別の窓口(10品目以下とか、5品目以下など)は、日本でも導入したらどうか?と思ったりもする。



それでも、日本のレジは、お客様様様であるから、場合によっては、何とか慌ててレジうちをするお姉さんもいるし、愛想も悪くない。
必要以上に慌てて仕事をするフランスのレジ打ちのお姉さんはいないし、愛想も日本人の感覚では、それは無いでしょ!という人もいないことは無い。
むろん、慌てたところで、給料が上がることもないし、時間がきたら、あっさりレジうちは終わる。どれだけ並んでいようともだ。
きっと日本では、サービス残業になっちゃうか?必ず決められた時間に、いや、それよりも少し前に、レジ打ちの人が交代するのに違いない。
そんなことは、”お客様、神様”に対してはできぬ国なのである。



そういういみでは、日本より態度のでかいフランスの店員と、フランスより態度のでかい日本の客という構図だ。
一応のバランスはとれている。文化の違いということもできるが、ここにフランス人、フランスの人間関係の一端を見ることができる。
この対人感覚は、キャビンアテンダントであろうと、お医者さんであろうと、レジのお姉さんであろうと、日本人から見たら一緒なのだ。
このあたり、礼の国日本と、人の国フランスといえぬこともない。
いやいや、個人店舗では、日本でも、人が垣間見えるし、日本の企業店舗が特別なのかもしれぬ。

お客、乗客が日本人であるのなら、世界最高水準のキャビンアテンダントは日本の航空会社ということになる。
少なくとも、日本人客に於いてはそうであろう。こてこての日本人であるわしも事実そう思うし、その特別な感覚に慣れてしまっているのだろう。
特別な状況であると思っていないところに落とし穴はあるものだが。



さて行列。
少なくとも需給バランスが悪いので、駅などでも、切符売り場はそうとう並ぶ
北駅で、切符購入できるまでに1時間並んだなんてことも何度かある。
9時半の電車に乗るから、9時までに駅へ行って、切符買って乗るなんてことは、運が悪ければできなくなる。

窓口が増えれば、人件費がかさむ
日本では、そんなことを考えながら並ぶことは無いが、フランスでは、つい、そんなことを考えたりする。



一人旅でも、そうでなくとも、行列にならぶのには、オシャベリ相手は必要だ。
寛容の心と時間つぶし。そのほうが精神衛生上宜しい。世界中、旅は道連れ、喧嘩の友が必要なのである。
Posted at 11:37 | その他 | COM(0) | TB(0) |
2010.02.23

カーニュ・シュル・メール13

100223
アメリカじゃ、洗濯物を外に干すのは貧乏の証拠なんて話を読んだ。
ヨーロッパでも、基本、外に干す文化はない。
外にというより、道路に面した場所にといった方がいい。

でも、こうした石に囲まれた路地に、みどりだけでなく、人工の布製品が眼に入るだけで、チョッと、ほっとした気分になる。
生活感とは、人の温かさなのかもしれない。
2010.02.22

NO.67 from A to B

英語で良く使われる熟語の一つ

from A to B(AからBまで)

これは、フランスでも良く使う。

venir de・・・ ・・・から来る。
aller à・・・ ・・・へ行く。

これは学習した。

だから、考えたら簡単なのだ。

de A à B

これで(AからBまで)である。


切符を買うときに、必ずしも、今いる駅から目的地とは限るまい。

SNCFのブティックで買うかも知れぬし、パリで、マルセイユからニースまでのチケットを購入するかもしれない。
A地点からB地点へのバスがあるのか?何て聞くかもしれない。
場所であれ、数字であれ、使える。

まさに旅に使える、熟語連語である。
2010.02.19

フランス人とケチ

とあるアパートをフランス人に借りたときの話だ。

その彼は日本通で、それゆえ、日本人に宿を貸しているようである。

暇乞いをして、でかいスーツケースを持ち、宿を出るときの話だ。


その彼は言う。 「シャルル・ドゴール・空港へ行くの?
私は言う。 「いや、モンパルナス駅へ
彼 「タクシー?
私 「いや、メトロ。
彼 「パリジャンみたいだね。


この、「パリジャンみたいだね。」というのは、もう、パリに慣れたパリの人みたいだねという意味ではない。
そんな一種のお褒めの言葉ではない。
もっとも、パリジャンのようであるということ自体がお褒めの言葉であるという発想自体、日本人的考えかも知れぬ。
無駄金は使わぬのだね、という程度の意味だ。

おそらく、多くの日本の方が、そこから空港へタクシーで旅立って言ったに違いない。
そんなところから、彼が「タクシー?」と聞いたのだろう。

むろん、そこそこ働いて、お金のある人で、しかも女性のグループなどであれば、重たい荷物をゴロゴロと転がしたくもないし、男性がいても、女性に気を遣って、タクシーを呼んであげるのだろう。
日本人なら、まあ、別段なんてことはない話だ。

在仏中も、多くの日本人帰国者を送ったが、女性陣はとくに、友人に送ってもらえるのでなければ、たいてい、飛行機に積み込めるのか?と思えるほどの重いスーツケースと共に、タクシーで去ってゆく。

都内から、成田空港へ行くほどの距離ではないから、まあ、日本的にはありえぬことではない。



が、これがパリの人となるとだいぶ違う。
メトロでいけるのなら、メトロなのだ。
なぜ?って、そりゃ安いからだ。時間も測りやすい。

もっとも、わしの知り合わなかった、お金持ちや、セレブのフランス人は違うだろう。



少なくとも、車でバカンスに出かけるとか、車で空港まで送ってもらえるのでなければ、電車かバスだ。
レストランでも、盛りだくさんになってしまう観光客の横で、一番安いクレープを飲み物水だけで食べるし、食後のコーヒーも頼まないなんてこともザラである。
むろん、飲まぬのではないだろう。もっと安いところで・・・である。
わざわざここでなくとも、なのだろう。




普段から、ええ格好で闊歩することもないし、ラフな普段着のパリジャンばかりだ。

新しいOSが発表されたからといって、それに飛びつく人も少ないし、動いているのなら、WIN95でも充分なのである。
WIN98が出たときに、新しいものに買い換えることを憤慨しているフランス人が知り合いにいたが、VISTAの時には多くの日本人もそう思ったろう。
新しい、古いということよりも、充分か不十分か?ここが重要な判断ポイントであろう。
彼らが、歴史や古いもの好きというのとは、また違う感性の部分だ。




ケチというより、無駄合理充分足りる必要、そんなキーワードが、彼らの行動を決めているように、観察すると思えるのだ。


ケチというのなら、わしも相当なケチの日本人である。破れた靴下の使い方をここに載せるようなわしにとって、このフランス人のケチは小気味よい。
在仏日本人にフランス人の悪口を聞けば、大抵、このケチという言葉は入ってくる。

ケチは即ち節約で、エコなのだ。
目的のための金と、体裁のための金は自ずと違う種類に属するものである。
そんな、恥の文化とは違う文化に接することも、また異文化コミュニケーションである。
むろん、欧州美化の必要はまったくない。違いを感じるだけでいいのだ。
Posted at 11:05 | その他 | COM(0) | TB(0) |
2010.02.18

カーニュ・シュル・メール12

100218
オー・ド・カーニュの急坂を登ってゆく。
息が切れるほど急だ。

いった時期は冬だから、アイスを食べることはないが、暑ければ、間違いなくここで休憩することだろう。

この鷲ノ巣村の最大の魅力は、なんと言っても、観光地観光地していないところだ。
エズも、サンポールも、なんとなく、生活観とは別の様相を呈している。

ここは違う。
間違いなく、かくれんぼの最高の名所になるにちがいない。
2010.02.17

フランス人とアメリカ

かなり昔の話だが、アメリカの曲があふれると、フランスのラジオ局では、フランスの曲を掛けなければならぬパーセンテージが決まった。
ソニーのウォークマンもいつの間にか一般名詞化し、しかも、フランスに入ると、またわざわざ、別の単語が用意される。バラなんとか?と言ったような気がするが、まあ、何でも良い。


このようにフランスはアメリカを嫌っている・・・なんてことはない。


80年代の英米ロックは、今も、カフェのあちらこちらで聞かれるし、だいぶ前から、土曜の夜中のアメリカハリウッド映画にも行列が出来る。仮に、パリスコープで星印一切無しであってもだ。
ミニテルがあるから、インターネットはやらずなんてこともないし、アイマックが流行った当時など、マルセイユの観光局は、すべてアイマックのタンジェリンになっていた。

いまどき、フランス人は英語を話せてもわざと話さないなどということを言う人は少ないだろうが、この話は昔の話などというものではなく、結構前から、一所懸命フランス語で話しかけても、会話がなりたたなければ、フランス人から、英語は話せるか?と聞いてくる。

もっとも、英語とフランス語の違いは、標準語と関西弁程度でしかないといえぬこともない。
標準語を話す人が、あえて、関西人の前で関西弁で話しかければ、関西の人は違和感を覚えるし、お前の関西弁は変!ということになる。そうなると、関西人でない人が関西弁で話すことに抵抗感を感じるといったことに似ているかもしれない。



アメリカ人から見るフランス、イギリス人から見るフランス、スコットランド人からみるフランス、アイルランド人からみるフランスは、当然、ヨーロッパ言語の文化圏外の日本人からみるフランスと自ずと違う。
日本と韓国が、近いにもかかわらず、特別な感情を抱きやすいのも、単純に別の国との関係と同列に並べられぬのと一緒の部分もあるかも知れぬ。
アングロサクソンもフランクも、ゲルマン民族である。


語学学校の友人のアメリカ人が、アメリカには今と未来しかない!とおっしゃっていたが、その点は、フランスとというより、欧州と米国の違いかも知れぬ。
Posted at 11:50 | その他 | COM(0) | TB(0) |
2010.02.16

カーニュ・シュル・メール11

100216
グリマルディ城の美術館とともに、もう一つのこの丘の上のお楽しみは、雄大な景色である。
南仏らしい、石灰質むき出しの岩山の稜線を望むことが出来る。
そんな、展望台のような場所がお城の裏手にある。
コートダジュールに限らず、この石灰質の海岸は、フランスの地中海、延々と続くのである。
こういった欧州の地層が、あのミネラルウォーターを産出しているのだろう。
2010.02.15

NO.66 desの見分け方

duの話を先日したが、良く聞く話にdesって言ったって、何のdesだか判んないよ!とのたまう方の怒りを聞いたことがある。
ごもっともだ。
desといっても

不定冠詞のdes
部分冠詞のdes
de+lesdes

とたくさんあるからだ。




せっかくだから、次の分を考えてみよう。

Il vient des États-Unis.

États-Unisはアメリカのことである。

通常、冠詞は定冠詞だから、
Les États-Unisである。

à+Les États-Unis は aux États-Unis
de+Les États-Unis は des États-Unis

である。




L'ami des voisins
があったとしよう。
隣人の友人である。
このdesが仮に不定冠詞だとすると、定冠詞のつく友達に不定冠詞のつく隣人である。
単語、連語にならない。意味がつながらないからだ。
隣人達""の""の部分がdeで、隣人というのは、自分にとっての隣人であるから、特定できる、すなわち、les voisinsである。
あたりまえだが、venirという動詞があるわけじゃないから、このdesの意味は考えればわかる。
ゆっくり考えたらわかるのだ。
これが不定冠詞のdesでないことが理解できれば、あとは、慣れと時間が解決してくれる。

これは、duにおいても、de laにおいてもde l'においても同じことだ。

わかるようになると、ついつい、これは、delesがくっついた奴ねなどと、説明したくなる。
そして、さらになれれば、そんな説明は、いちいちしなくなる。

分けがわからなくなったら、ゆっくり分解してみることだ。
j'ai des billets.
L'ami des voisins

このどちらなの?と考えてみればいい。
2010.02.12

フランス人と横断歩道

先日はフランス人と車の話であった。
今日は横断歩道の話。


テレビで、サッカーの日本代表だったラモスさんが言っていた。
横断歩道で信号を守っている歩行者は、日本人だけだよと。

もちろん、交通放棄を守らないのは、よろしくない。
が、現実、フランスも含め、歩行者の信号はないに等しいことが多い。
お巡りさんがいても、歩行者は信号無視しているし、お巡りさんも注意しない。


信号がまったく関係ないわけではない。
交通量が多かったり、幅の広い通りでは、信号がなければ、とても渡りきれぬ。
が、信号があるがゆえに危ないことも起きる場合もある。


とくに、細い通りの場合だが、ひょいひょいといけば、10歩とかからぬ横断歩道なんかは、多くの人が守らぬ。
怖いことに、時間が掛かる上に、そんな細いとおりを20歩以上かけて渡りそうなご老人でも、車がいなければ、信号無視が当たり前であったりする。


そういう交差点だから、えらい勢いで飛ばしてきた車と、歩行者のニアミスは起き易い。


お年よりはともかく、荷物を抱えたおばちゃんは、信号無視の逆切れをするし、若者は、場合によって、急停車した車のバンパーを蹴飛ばしたりする光景も稀にみる。
大抵、怒鳴っているのは、信号無視した歩行者の側だ。
もっとも、車の人間は、クラクションを鳴らすのが聞こえるだけで、車の中では、怒鳴っているかも知れぬが。


正直、ベトナムのように、信号があまりないほうが、かえって事故が少ないのではないか?と思える場所も少なくない。


日本人は、全く車の通らない横断歩道を一人で待ち続ける人もいる国民である。
だからこそ、怖いのは、信号の過信である。

青だから、自分が正しい!ではなく、大事なのは自分の命だ。

日本にいる感覚で、周りの人が渡り始めたから、ついつい、自分も、友達と話しながら渡りましただと、フランスじゃ事故になりかねない。
車にひかれないことが第一義である。
Posted at 11:54 | その他 | COM(0) | TB(0) |
2010.02.10

JALはワンワールドで

ひとまず、デルタなの?がアメリカンヘという決着をみたJAL。
ほっと一息という人たちも多いだろう。

ワンワールドをそのまま継続であるから、フランスへ行く人間としては、英国航空、キャセイ・パシフィック、フィンエアーあたりが、そのまま対象となりやすい航空会社ということになろう。

スカイチームにはならなかったものの、JALはエールフランスとも提携している。

そのスカイチームでは、ベトナム航空が加わるようだ。
もともと、大韓航空とは提携している。
乗換は大変だが、マイルは貯まる。

スターアライアンスは、コンチネンタル航空が加わった。
ここのマイレージのワンパスは使い勝手がよい。
2010.02.09

カーニュ・シュル・メール10

100209
オー・ド・カーニュ、すなわち、カーニュの鷲ノ巣村のてっぺんには、お城が建っている。
城砦というべきか。
グリマルディ城である。
これが美術館になっている。
以前は藤田の絵などもあったが、今も展示されているかも知れぬ。
当時と比べて中がきれいに替わったかも知れぬが、こうやって、丘の上に、目標物があると、急坂も、登る意味を見つけやすい。
それほど、急峻な丘の上に建っている。
2010.02.08

NO.65 パリから来ます!

先週はどこどこへというàという前置詞をやった。
今週は逆だ。

de~ (どこどこから)

という意味だ。



来るの活用は前々回行った。

Je viens de Paris. (わたしはパリから来ます。)

普通、来ましたと過去形になることが多いのだろうが、過去形の話はやっていないから、あえて、現在形で。

venir+de+場所で、どこどこから来ます。のいみになる。




先週と同じように考えていこう。

彼女らは、映画館から来ます。

Elles viennet de le cinéma.

となるはずだが、既に、定冠詞の縮約をやった。

de+le・・・du

であるから

Elles viennet du cinéma.

わかりやすい。aller+àと考え方は一緒だ。



さてさて、先週、
Je vais à la gare du Nord.という文章をやった。

Je viens de la gare du Nord.当然、北駅から来ますというのならこうなる。

先週言ったように、duのパターンは、前置詞+定冠詞部分冠詞で、前置詞deは北駅の場合、何々のといういみあいとなるが、deには、どこどこからという意味合いもあるのである。
Elles viennet du cinéma.
Je viens de la gare du Nord.
Je bois du café.

前後の単語を見れば、部分冠詞なのか?前置詞+定冠詞なのか?わかろう。

さてさて、一応、今週はこの辺で、来週続きをやろう。
2010.02.05

絶纓の会

サルコジ大統領が、シラク大統領へのあてつけであろうか、相撲を頭の悪い奴のスポーツといわんばかりの発言をしたなんてことが以前あった。



いくらネットが普及したといっても、やはり、海外に生活していれば、より日本人を意識するし、日本のことに誇りもあれば興味もわく。

ベルシー体育館などで、相撲のパリ公演があれば、出かけていくわけではなくとも、ちょっとした、懐かしさと、伝統文化のある国で生まれたことにうれしさを覚えることもある。




さて、最近のニュースは、民主党のお金の話か?相撲関連の話である。
起訴、不起訴、示談、引退、退会、慰留・・・。
あまり楽しい話題ではない。

人の不幸はミツの味らしいから、視聴率も取りやすいのだろう、きっと。


さて、そんな中から、気になったのが、安治川親方の退会と慰留の話だ。
なんとも、この世界の根っこを見た気になる。




絶纓の会

昔、楚の荘王の無礼講の会で、明かりが消えると共に、とある家臣が寵妃にいたずらをしたという話だ。
機転を利かし、その男の冠の緒をもぎとった寵妃は王に、明かりをつければ犯人がわかるという話をしたという。
その次に王の口から出た言葉がイカす。
「全ての者が、冠の緒を取れ!」
・・・以下続くが割愛。


さて、今回、無記名投票であったのだろう。
実際のところの話はわからぬが、その後に犯人探しがあったとするならば、その結果、今回の退会騒動があったとするならば、なんとも、悲しい話ではないかと思うわけである。


なぜ?の矛先は、造反者でもなく、落選者でもなく、貴乃花親方出馬の理由に向けられるべきだ。
むろん、出馬の是非ではなく、出馬の意味だ。

このニュースを聞いたとき、すぐに頭に思い浮かんだ話が、この”絶纓の会”の故事である。


同じ、荘王の故事で言うなら、”泣かず飛ばず”の話のように、腐敗をただし、新しい門出を迎えてもらいたいものである。



株も、車も、伝統も、日本ブランドが崩れていく中、明るい話題を聞きたいものだ。
相撲協会が土俵際で、サルコジさんにあっさりとウッチャリを決めてもらいたいものである。
Posted at 11:30 | その他 | COM(0) | TB(0) |
2010.02.04

カーニュ・シュル・メール09

100204
大人だから、子供だからという。
そうだろうか?

大人でも、子供にあるようなイジメの問題もあれば、お年寄りにだって、夢がある。
大人になると、理性で判断しなければならぬことが多くなる。違いはそれだけのことのように思う。

こうした秘密基地めいた場所は子供は大好きだ。
とすると、大人も、実は大好きだ。

路地が好きというと、いかにも鄙びていて、大人の趣味みたいに聞こえるが、秘密基地が、迷路が、探検が好きといえば、子供っぽく聞こえるものだ。

子供心などというのは存在しない。大人も子供も皆、そういった心を何処かにもっている。
なくした人は、休憩、心の洗濯をした方がいい。

路地は、そんな何かの壁を取っ払ってくれる。

悪口や文句は、実は理性の産物ではなかろうか?

頭のよさと知識は、時として煩わしいものだ。
2010.02.03

フランス人と車

イタリア男で車が好きでない奴はいないとか・・・。
ドイツでは、ワーゲンがベンツを避け、ベンツがポルシェを避けるオートバーンがある。
フランス男の場合、車に乗ると気が短くなる。
渋滞すればいらいらするし、渋滞を避けて別の道に入ったら、また渋滞なんて場合は、血管が切れるのではないかと思うほどのイライラ度で、舌打ちするタクシードライバーも多い。


車自体はフランスの主要な産業であるし、F1の興業元のFIAもパリにある。


ヴァカンスも車で出かけるし、そのヴァカンス用というわけではないだろうが、ルノーのミニバン、エスパスなどは、語学学校の教科書にまで出てくる有名な車である。


車のデザインはもちろんであるが、フランス人の好きな言葉にテクニックという単語がある。
テクニックをもっているということは、重要事項なのだ。あらゆる面においてだ。
テクニックロジックは彼らの大好物であり、常にその二点は重要視される。
かならずしも、それが結果に反映されていないことは、あらゆる面においてあるのだが、そこは置いておく。
運転そのものだけではない。裏ルートへの入り方、自分だけの近道なども、そのテクニックの部類に入る。
こいつを駆使しても上手くいかないときに、沸点に達するのだろう。

路線バスの運ちゃんがそんなに怒りまくっているように感じないのは、テクニックの生かせないルートの決まった乗り物であるからかも知れぬ。


細かい事故は、結構頻繁に遭遇する。
日本と比べてどうか?なのは、数えたことがないからわからぬが、ぶつけてはならぬ飾り物のバンパーをつける日本人と、バンパーはぶつけるためにある欧州その他の国とは、事故そのものの概念が違うかも知れぬ。
降りてきたドライバーの沸点状態は、半端ない。いかったトルシエ監督が二人である。


そういえば、京都で始めてタクシーに乗った時、もう随分前だが、乗ったタクシーの前に、地方のナンバーの車が車線変更して入ってきた。
京都駅前での話だ。
そのときの運ちゃんの第一声が、舌打ち後の「田舎ものがぁ!」であったが、そのイライラ度は、パリの運ちゃんのイライラ度に似ていたかも知れぬ。
新幹線で到着後すぐ、乗っている初京都のド田舎者であるわしは、外国に来たように萎縮したことを覚えている。


ふふふ、歴史と都がそうさせるのかも知れぬ。

デザインと華やかさという視点ではなく、テクニックとロジックという、独りよがりであることも多いが、この部分において、フランスを見てみると、案外フランスらしさを知ることが出来る。
Posted at 16:44 | その他 | COM(0) | TB(0) |
2010.02.02

カーニュ・シュル・メール08

100202
鷲ノ巣村の楽しみといえば、その路地にある。
入り組んだ路地は狭く、高層ビルならずとも、高い塀で囲まれた建物と空の高低を感じられる。
古い石の壁面の露出が、別世界へといざなってくれる。

何を撮りたくて、撮った写真なのか?わからぬ失敗写真の束であるが、少し寒々とした路地裏感は伝わってくる。
以前の2月のカーニュである。
2010.02.01

NO.64 パリへ行きます!

どこどこへと言う場合に使う前置詞がある。

à~である。



先週以前のおさらいをしておこう。

Je vais à Paris.(私はパリへ行きます)

である。



aller+à+地名で、どこどこへ行きますになる。

必ず、どこどこへというのは地名とは限るまい。



フェスティバルへ行きます。

なんのフェスティバルであれ、まあ、行く前になんのフェスティバルへいくか決まっていよう。
決まっていなければ、どこへ出かけたらいいかもわからない、当たり前だが。
だから、当然、不定冠詞ではなく、定冠詞がつく。

フェスティバル(le festival)


フェスティバルへ行きますと言ってみよう。

Je vais à le festival.

とまあ、普通に文章を作るとなるわけだ。
が、2つ前にやった、前置詞と定冠詞がくっつくカフェオレパターンを思い出そう。

Je vais au festival.

となるわけだ。




女性形なら、auとようにはならず、à+laであるとやった。

Je vais à la gare du Nord.

私は、北駅へ行きます。



さてさて、北駅la gare du Nordduが含まれている。何だ?これ?

これも既にやったものだが、de+leなのである。

東西南北の場合、gare de 定冠詞+方位となる。

東駅がパリにはあるので、そいつも見てみよう。

La Gare de l'Est(ラ・ギャル・ドゥ・レスト)

de l'とか、de laとか、duというのは、(・・・の)という前置詞+定冠詞の場合か、部分冠詞(感情、水など数えられない名詞)などがある。
この当たり既にやっているから、思い出していただければわかる。
もうひとつあるが、それは次回としておく。


話はそれたが、北駅へ行きます。だけで、これだけの文法の話になるわけだ。





ホテルへ行きます。
Je vais à l'hôtel.

もう、頭の中に、前置詞と定冠詞の縮約の話、allerの活用の話が血と一緒に回り始めたろう。



Il va au cinema.(彼は映画館へ行く)
Nous allons aux toilettes.(私たちは化粧室へ行く)
Tu vas à Sendai.(君は仙台へ行く)
Vous allez à Nantes.(あなたはナントへ行く)
Ils vont à la gare Nagoya.(彼らは名古屋駅へ行く)
Je vais à la bibliothèque.(図書館へ行く)


aller à~と定冠詞の話はイメージ出来たろう。

Un billet, à Paris.
どこへでも切符が買えるはずだ。