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2010.01.29

川とフランス

日本に流れている川は、街道を分断するように流れている。
島の中央に山があって、その周りにある狭い平野を川が横切るためだ。

しかし、欧州の場合、広い平野を川がゆったりと流れる。
だから、昔から川はエリアを分ける境目でもあり、交通路でもあった。

当然、町も川沿いに並んで出来てくる。

その昔、ヴァイキングもエルベ川、ライン川、セーヌ川、ロワール川、ガロンヌ川、ローヌ川と遡った。
そして、パリケルンを攻撃したのである。
アーヘンハンブルグロンドンもみな川沿いである。

そういった意味では、中国も洛陽長安も川沿いである。





また、境目としては、セーヌ川がケルトとゲルマンの境い目となっていたし、ノルマンの侵攻によって、結ばれた和睦もサン・クレール・シュル・エプト条約というが、エプトはエプト川である。
エプト、ウール、ディーヴの3つの川で囲まれた地域をフランスがノルマン(ヴァイキング)に割譲するのだが、これが、まさに、現在のオート・ノルマンディ地方そのものである。

エプト川というと、ここから水を引いて、庭に池を作ったのが、あの画家のモネであるが、エプト川がノルマンディの境い目であるのだから、モネの家がノルマンディのハズレ、イルドフランス地方を出たすぐのところにあるのは、エプト川から水を引いたということで、イメージつくわけである。
モネの家の最寄り駅ヴェルノンは、イルドフランス地方のカルトオランジュやナヴィゴのゾーン外になるというのは、その条約で決まったといえるかも知れぬ。西暦911年のことである。




そんなことを頭に入れつつ、現在の鉄道を見てみると面白い。
多くの鉄道は、当然町から町へと結んでいるわけだが、町は川沿いに出来たのだから、鉄道を結ぼうとすると、当然川沿いに列車が素って走ることが多いわけだ。
たとえば、トゥールーズからピレネー山脈山中のアンドラという免税天国の小国の間にアリエージュ川というガロンヌ川の支流があるが、ここも、ローカル線が走っている。これに乗っていけば、アンドラという国へいけるわけだ。


バスクのバイヨンヌへニーヴ川というのが流れているが、この上流にサン・ジャン・ピエ・ド・ポールという町がある。ここへも鉄道があるが、このニーヴ川沿いなのだ。


もちろん、セーヌを遡れば、ルアーブル、ルーアン、パリとあるし、鉄道は幹線である。
ボルドーからトゥールーズも同じく幹線が走っているが、これはいわゆるガロンヌ川沿いなのである。




そんなことを考えると、やはり我々は歴史の上に生きているのだと思わざるを得ない。
そんなに遠くない歴史であるはずの鉄道も、1000年単位で作られたこの星の上の歴史地図になぞるように線を引っ張っただけのことでしかない。


ローマ軍がリヨンという街を造ったのも、川が交わるところであったからであろう。
ローヌ川を遡上したローマ軍がガリア征服にこんな絶好の場所を逃すわけもない。
後世のリヨンの富も食も川あってのことだ。
いまや、この川沿い、ローマの軍隊が通過したところを、世界に誇るTGVが疾駆している。


急流下り越すに越されぬ大井川、川を渡ってきた我々と、川を移動してきた彼らと、そういった意識、文化の違いがあるのかも知れぬ。日本の橋の技術が世界一などといわれるのも、そんな所以かも知れぬ。
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