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2009.12.31

今年もありがとうございました

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2009年、ご愛顧ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
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Posted at 12:10 | その他 | COM(0) | TB(0) |
2009.12.30

サン・ルー・サン・ジル教会

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パリの真ん中、サンドニ通り、レ・アルの近くにある教会である。
13世紀の教会であるが、フランス革命後取り壊された。
しかし、19世紀に再建。

外のたて看板によれば、この通りには8つの大きな教会などの建物があり、その一つがこれであったようだ。

サンドニ通りであるから、いまは、娼婦の立ち並ぶ通りでもある。
歴史的なゾーンでもあるのだが、写真を撮るのは容易ではないこともしばしばある。
カメラを教会に向ければ、彼女達にカメラを向けていることになりかねないわけで、当然、それは、タブーなこととなってしまうし、大声でどなられる結果となることもある。
残念ながら、これも、パリの顔なのである。

何度か訪れたのだが、今回は、そういったこともなく、撮影チャンスに恵まれ、外、中を撮影。
13世紀も21世紀も、街は生きている。
そう感じさせるゾーンである。
2009.12.29

ストラスブール26

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今回も雲の写真である。
なんだか、下が真っ暗になってしまったが、遊覧船と雲の失敗写真である。
レンズのお陰か、なんとなく、空の広がり感が伝わるのではないか?と思うわけである。
遠くに見える鉛筆の先のようなものが、大聖堂の尖塔であろう。
もう少し、青い空と雲が水にきれいに映っていたら、さぞかしきれいだったろうと思うわけだが、後の祭りである。
2009.12.28

旅のセキュリティ

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観光客であるということ、日本人であるということ、女性であるということ、体が小さいということ、盗みやすいカバンを持っているということ・・・。狙われやすい人の条件である。
体の大きさ、性別、顔立ちなど、どうしようもないものは別として、盗まれやすいカバンというのは、対処しようがある。

とはいっても、正直、南京錠をいちいちあけていると、鍵も持ち歩く必要もあるし、鍵をなくせば開かぬし、面倒!という人にお勧めなのが、こうしたリング型の"カラビナ"フックである。
鍵不要で、簡単に開くのだが、狙う側からすれば、こんなものがついているカバンは、面倒だ。
スリにとって面倒であることは、我々にも少々面倒なのだが、少々であれば、我慢できぬこともない。
全くついていないカバンを狙うことに比べれば、こういったものがついているだけで、スリから避けられる可能性が増えるのなら、つけておいたほうがいい。


実は、こういった鍵を、パリジャンから勧められたのだ。

旅用にカバンを新調する際、リュックなどを選ぶときに、こういったチャックのついていいない物を選ぶことも大事だが、こうした方法で対処できるなら、選ぶ基準も増えるというもだ。

ホームセンターで数十円から200円程度で購入できるから、お勧め防犯グッズである。
年末や年明けの卒業旅行前に手に入れておくのもいい。
2009.12.25

パリの夜009

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長く続く路地と、点々と続く明かり。
その街灯のリズムの連続が、物悲しさを感じさせ、哀愁を感じさせる。
信号の色も、白い壁に反射する。
このあたり、短いアンパス(行き止まり)の道でさえ、信号がついていたりする。
Posted at 11:11 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2009.12.24

アランソン16

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それがたとえ尾道であれ、奈良であれ、京都であれ、パリであれ、路地は楽しい。
子供というのは、細く道になっている、こうしたごちゃごちゃしたスペースが好きだ。
それが、学校の渡り廊下であろうとも、病院の待合室であろうとも、図書館の机や棚に仕切られたスペースであろうとも・・・。
いや、実は、大人も好きなのだ。
迷路、手に届きそうな箱庭サイズの道、少々暗めに、なにやら秘密基地めいた匂い、人間らしい距離感の空間、目が届く距離感でありながら、目の届かないビックリ箱の楽しさ。
そんなものが詰まっているのが路地なのかもしれない。
子供だけではない、プチ冒険のつまった、不安にならないほどの距離感が、人をワクワクさせるのかもしれない。人工物によって守られた感のあるなかのプチ不安がプチ贅沢につながるのだ。
だからこそ、子供も不安にならず、楽しいスペースだと感じるのかも知れぬ。
2009.12.22

ストラスブール25

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旅の空、雲が浮かぶ。
この雲を意識して、写真に入れてみる。
可愛らしい雰囲気が、さらに可愛らしくなる。

日本と地形が違うからか?雲の形も違うようで、目に留まる雲は意外と多い。
こちらの人にしたら、別に、いつものやつなのかも知れぬが・・・。
2009.12.21

ラ・シャペル・サン・ドニ

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18区のモンマルトルと19区のラ・デファンスの間に、ラ・シャペル地区がある。
メトロだと12号線終点付近である。
北駅と東駅から延びる線路にはさまれた、最も観光客ゾーンでない地域といっていいかも知れぬところだ。ちょっとした中華街もある。
ポルト・ドゥ・ラ・シャペルというメトロ駅が示すように、このラ・シャペル地区にサンドニの名を冠するシャペルがある。聖ジャンヌ・ダルク教会と隣り合わせになっている。

ここの目の前の道をパリ北方へ向えば、サンドニ大聖堂へ到達する。
ここが、サンドニが首を持って歩いてきた場所との話もあるらしいが、もっとも、首を切られた人が歩くわけもなく、葬られたという伝説の場所のひとつなのであろう。

サンドニ大聖堂、サンドニ市散策、モンマルトルのサンドニ像にノートルダムのサンドニ像。
そして、ここで、サンドニのゆかりの地を一日掛けて回ったわけだ。

サンドニさんが来た当時、このシャペルの場所から、サクレクール寺院など建っていない、モンマルトルの丘が、目の前にポッコリ合ったのに違いない。
そうやって考えてみると、京都の船岡山をちと思い出す。

南へ下れば、西陣
モンマルトルの南もバルベの布屋街。
上七軒ピガールを比べることは出来ぬかも知れぬが・・・・。
2009.12.18

パリの夜008

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カフェの明かりに照らされる、テーブル、そして、向こうにサンマルタン門。
冬のパリの夜は長い。
その夜を楽しむための、明かり、酒、友。
この3つ以外に何がいるというのか?
暑い時期がきらいな人もいるだろう。
が、多くのパリの人は、長い冬の間、暖かい、夏の太陽を待ち焦がれる。
それほど暗くて長い冬なのだ。
Posted at 11:11 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2009.12.17

アランソン15

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3匹の子豚の末っ子の家はレンガであった。
子供心に石造りの家は丈夫なのだと考えていた。
鉄筋などのことは考えぬから、四角い赤いレンガをもってきて、セメントを塗りつつ、重ねていけば、頑丈ないえが出来上がる。時間をかけさえすれば作れるのだと、ぼんやりと思っていたものだ。

さて、現実に欧州に来て石作りの家をみる。
別段、これが、歴史的建造物の写真というわけではなく、たんに、通りがかりに合った家の壁、入り口、であろう。
昔作られた家に、住所の看板がつき、通り名の看板がつき、雨どいがつき、そして、現在も使われている。
何だかわからぬが、一軒一軒立てられた時代も違えば、形も違う。
雰囲気も違う。
そんなところで生活をはじめたなら、なんとなく、ちょっぴり、自分らしい人生をスタートできるような気にさせる。もちろん、その代わり、古さによる制限、個性による制限とは共存せねばならない。
その選択も個性といえよう。
2009.12.16

ベトナム航空でパリへ行く10

ベトナム航空でハノイ乗換、ホーチミン乗換の最終章。
日本への帰国編。
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チャーハンを食い、充電したのだが、のど飴を取りに、ホテルへ一度戻ることに決めた。
チョロンのビンタイ市場を横目に見つつ、チョロンのバスターミナルへ向う。

ここでの目標は、バスでホテルに帰るである。
ベンタイン行きチョロン行きのバスに歩きの途中で乗るのは、そんなに問題ない。
終点がバスターミナルであるし、運賃も3000ドン乗ってから支払いでいい。
だから、気楽に乗れるが、逆方向はそうは行かぬ。

ホテルの近所まで、バスで帰る為には、
バス路線図をもらい
バス路線図と地図をにらめっこしながら、路線を探す。
である。
ターミナルでバス路線図くださいといい、いただく。
すると、7番のバスが、チョロンからホテル近所まで行くことが判明。
この7番は結構本数がありそうだ。

降りるバス停などがどこにあるやは知らぬが、サイゴン駅を通過し、川を越えたら、その次のバス停で降りるぐらいで何とかなろうで乗ってみる。
車掌のホテルの地図とバス路線図で確認すれば、okokとの返事。
歩いたお陰で、なんとなく、バスの走っている位置もわかるし、バス路線図に通り名も入っている
窓から、交差点を曲がると、通り名看板で確認する方法でもいい。
で、バス停かどうかはわからぬが、ホテルの近所でおばあさんと一緒に降りることが出来た。

RAMANAホテルであれば、7番チョロン方面28番ベンタイン方面のバスは使える。


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午後は、昨日のパリからの乗換便で道連れとなった方と、チョロンへ出かける。
このアバウトさが旅の醍醐味。
バスで行くために乗ってきた7番のバス停を探しつつ歩くと、通りで発見し、チョロンへ、そしてビンタイ市場へ。


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気の向くままにぶらりと周り、


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チョロンを散策しつつ、


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喫茶店で、ベトナム話とフランス話で盛り上がりつつ、1番のバスで、ベンタイン市場へ。


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春巻きを食い、ホテルに帰り、バスで移動し、チェックインし、出国審査を経て、飛行機ではぐっすりの寝、寝ぼけつつ、日本食の機内食を食べ、日本到着。


何が楽しいかといえば、ベトナムそのものというわけではない。
ベトナムで過ごした1泊2日の何物にも変えがたい時間なのである。
そして出会った人と過ごした時間。
これこそ、旅の宝である。ひさびさに、大変楽しい旅気分を味わったのである。
出会った皆さん、大変ありがとうございました。本当に最高の時間でした。

かくして、初めてのベトナムの旅、ベトナム航空パリ行き乗換便の旅は終わる。
2009.12.15

ストラスブール24

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向こうに見える、丸窓に島津の家紋型の窓が可愛らしい。
鉄細工の看板もフランスに限らず欧州ならではである。
日本なら、木を彫って墨という渋いのもいい。
屋根の雰囲気も、アルザスらしくというのか、北っぽい。
南欧とはまた、全く違う。

9世紀にストラスブールの宣誓というのがあるが、これは、フランク王国が分裂し、ドイツとフランスの原型が出来た後、その二つの王の相互扶助契約のようであるが、これがフランス語とドイツ語で書かれているらしい。この二つの国の王はシャルルマーニュ大帝の孫であり、兄弟である。
もっとも、分裂というのは正確ではなく、分割相続しただけのことであるが・・それが、今、ドイツとフランスになっているとはねぇ。

道の町であり、東西の境であり、大河の流れるところであり、そういった場所、文化の境目にこのまちが存在しているのである。
2009.12.14

サンジャックの塔

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なんだか、よくわからぬ塔が、街のど真ん中に立ってるなぁ。古いんじゃない?程度のご挨拶で遠目に見られておしまいになることの多い遺構である。

このサンジャックの塔というのは、教会の遺構である。
ここにサン・ジャック・ド・ラ・ブーシュリ教会という教会があったわけで、多くの巡礼者がここから、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼へ旅立っていったわけである。
この塔の後の通り、シャトレ広場と反対側を歩いてゆくと、ノートルダム寺院へ出る。
ここで帆立貝の印のバッグを持つヤコブの像にご挨拶をし、プチ・ポンをわたって、サンジャック通りに入る。
まっすぐ行けば、南下することになり、それが、巡礼路であったのだろう。

ちなみに、この教会の名前サンジャック聖ヤコブのことであり、スペイン語でサンティアゴである。
コンポステーラの道はバスクで合流するのだが、いくつかある道の内の一つがここパリのこの教会からスタートするのである。

そういった意味において、この塔はパリの教会カテゴリの中ではきわめて重要な位置にあるとも言える。

パリの起点はノートルダム寺院であるが、フランス革命までは、ここも旅の起点であったのだ。
旅行者にとって、フランスの旅人の”へそ”であるここへ詣でておく価値のある物件であることには違いない。

フランス革命というのが、自由を民衆が勝ち取ったという側面と共に、古くからの権威に由来する、歴史的建造物や教会類が取り壊されたり略奪されたり、あらされたことも、フランスを旅する上で知っておいて良いはずだ。
古いものが残っているというのが、どうやって、革命をかいくぐったのか?そこがパリからどの程度離れているのか?どういう勢力の土地だったのか?そんなことが、現在旅する我々の目の前に、形となって顕されていることは、実はしばしばなのである。
2009.12.11

パリの夜007

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グランブールヴァール沿いのメトロの出口。
さすがに、グランブールヴァールは明るい。
カフェのネオンにタバの光り、遠くに光るサンマルタン門の明かり。

ゴミ箱も郵便ホストも、ライトに照らされれば、オブジェの一つと化す。
Posted at 11:13 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2009.12.10

アランソン14

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現在もやっているのかどうかは知らぬが、駅のSNCFのカウンターでホテルも予約してくれる。
メルキュールなどは提携しているようだ。

このときも、実はモンパルナス駅で切符とともに予約してくれた。
向こうから勧めてきて、取っちゃえば便利でしょ!とのことだったのだ。
街から近いの?と聞けば、大丈夫とのことであった。

アランソン到着し、観光局で地図をもらい、場所を聞けば、結構ありそうな雰囲気。
で、だいぶ歩くのだが、まだ着かず。の写真。


車社会のフランスの地方都市では、ホテルも高速脇、バイパス脇であったりすることも多い。
自分で確かめずに、近いの?ぐらいで頼んじゃうと、こういう結果に。

このときは、キャンセル可だったから、キャンセルして、街中のイビスへ急遽宿泊。
グレードはイビスがメルキュールの下かも知れぬが、立地があまりに違いすぎ。

始めから予約しておかない方が、楽でした。
2009.12.09

ベトナム航空でパリへ行く9

ベトナム航空パリ往復の旅、ホーチミン乗換編
ホーチミンシティ、サイゴン街歩き。
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Lac Long Quan通りを南下する。
しないのあちらこちらにあるバイクのシート屋さん。
ここは、かなりシックなほうだ。
派手なシートやさんもある。毎朝、店先にシートを並べ、飾り付ける。
一人一台のこの街においては、おしゃれの大事な一つなのだろう。


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Lac Long Quan通りもこの辺りまで来ると、だいぶ鄙びてくる。


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Han Hai Nguyenを左折し、チョロン方面へ向う。
街は中華のにおいも強くなるが、この通り、欧風の建物が多い。


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アトリエっぽい雰囲気すら漂う建物。窓部分がアトリエっぽい。


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この街が雑然としているのに、意外と秩序と整頓の街であることは、この並びからもそうだ。
市場でも、あまりに雑然としているにもかかわらず、商品陳列はとても几帳面なのである。
それが、ここの人たちの気質を表しているかも知れぬ。


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チョロン地区到着。Nguyen Thi Nho通り。バスターミナルももう近い。
交通量は増える。


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朝から歩き始め、3時間はたっただろうか?
散歩距離は10キロを越える。
バスターミナルを越え、ガイドに載っているチャーハンを南龍に食べに行く。


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むろん、氷にサイゴンビールである。
2009.12.08

ストラスブール23

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ストラスブールの大聖堂である
もちろん、全部が入っている必要もない。
全部入っていない写真を撮るにも二つある。
全て見えるところから一部切り取る場合と、ハナから全て見えないところからとる場合だ。
・・・も写っている的な、借景的なものも、意外と収まりが良いこともある。

写真は、失敗写真で、ちょいと加工して、真っ暗なところを見えるようにしてみたのであるが、個人的に大好きな街灯(街灯、旗、看板、標識、案内板がどうも好きらしい)を入れた写真のつもりが、街灯部分が真っ黒であった。

目は高性能レンズであるから、なかなか、カメラでは、思ったように写ってくれぬ。
2009.12.07

神の手で掴んだW杯

神の手が問題であるのは、ハンドが反則だからではない。
反則が、勝利を導いたからだけでもない。
これが、W杯の出場と不出場とを分ける分水嶺となってしまったからだ。

それだけ、ここには多くの期待と金が動く。

もちろん、これだけのビッグイベント出なければ、神の手は動かなかったかも知れる。
たんなる、ゴールキックとなるはずだったろう。



さて、その”勝ち抜いた”フランス

W杯の組み合わせは、またもや神の手が使われたのかと思いたくなるような、ある意味ラッキーな組み合わせとなったように見える。
地元とはいえ、ランキング下位の南アフリカ
南米予選で勝ち抜けず、大陸間プレーオフでようやく出場を掴んだウルグアイ
1勝3敗のスタートで、一時出場絶望視されたメキシコ

しかし、フランスも神の手でようやく掴んだW杯なのである。
とても、チームは優勝できるような体制にない。
予選で去る可能性も現時点では充分高いと言っておくべきだろう。

メンバーはすごい。
メンバーがすごくても、ポルトガルアルゼンチンも見た目のメンバーだけでは勝てぬことを嫌というほど味わった予選であったろう。

フランスもスーパースター集団であるが、中央にボールのおさまるべき、ジダンの代わりとなる選手がいない。
ナスリなのか、グルキュフなのか?
シャンパンサッカーであることの魅力と共に、半分は、おさまる場所もやっぱり欲しいものだ。
もちろん、アンリリベリのスピードも楽しいし、ベンゼマベンアルファナスリのアフリカントライアングルも見てみたい。

それでもやっぱり、シャンパンらしく、時に点も取れる、要軸は必要だろう。
アネルカジニャックリベリアンリ・・・スーパースターを並べただけでは、点が取れないことは、もう、ここ数年何試合も実証済みである。
多彩な神出鬼没のサッカーが見られなければ、スーパー個人技集団として予選で去る可能性は消して低くない。



さて、日本。初戦はフランス語圏のカメルーンである。
なんといっても、エトーソングのスーパースターもいるのだが、フランスリーグでも数多いカメルーン選手が所属している。
しかも、監督は、そのフランスリーグを知り尽くしたルグエンである。

日本は、気をつけぬと、”引き分けになっちゃうかも知れぬ相手”ぐらいにしか見られていないだろう。
是非、一泡吹かせてもらいたいものだ。
他のアジアの国も面白いところに入った。
特に北朝鮮オーストラリアはすごい相手が並ぶ組だ。特に独豪の初戦は見物かも知れぬ。
2009.12.04

パリの夜006

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アジアティックなネオンサインは、色とりどりで、しかも、点滅する。
欧州はその点滅が少ない。
シンガポールもその点滅がない。

もちろん、アジアのネオンサインには、赤、電灯色、黄色が圧倒的に多い。
注意を引くためだ。

新宿の青梅街道の歩道橋から、靖国通りを眺めたとき、けして、まねしたわけではないのであろうに、どうみても、香港その他のアジアティックなネオンサインとしか思えず、ああ、東京もアジアなのだなぁと実感するわけである。

夜が騒がしくなく、落ち着いているのは、そのネオンの違いによるところ、ライトアップの違いによるところが大きかろう。
Posted at 11:56 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2009.12.03

アランソン13

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とある、アランソンの交差点。
この街から、車で移動したからなのであるが、こういった中央分離帯で、細かく迷路のようにしきられた交差点が結構ある。
慌てず行けばよいのだが、方向感覚を失わぬようにしないと、普通の交差点のように、右に曲がる!だけ覚えていると、どこでどう曲がったら、正しい方向へ進めるのかわからなくなってくる。
方角イメージが意外と大事なのだ。

説明受ければ、理にかなっているというのはわかるが、はじめてきた人間には、大変不親切な結果となっていることもしばしばだ。

説明受ければ・・・、でも、いきなりじゃ、理屈っぽくてわかんないよ!というのが、フランスの特徴とも言える。
2009.12.02

ベトナム航空でパリへ行く8

ベトナム航空パリ往復の旅
今回も引き続きホーチミンシティ2日目である。
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ヤックラム寺を後にし、Lac Long Quan通り戻る。曲がった交差点に来ても、ひたすらまっすぐ進む。
写真の通りは、そのLac Long Quan通りである。


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ごちゃついているようで、そうではないのがこの街なのかも知れぬし、この国なのかも知れぬ。
バイクの波と電線と市場の雰囲気で、そのごちゃごちゃ感に圧倒されるが、細部を見ると、整然としていることが多いのである。


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ダムセン遊園地の入り口らしき場所を越え、ホーチミンの空港でもらった地図には載っていない、ヤックヴィエン寺へ向うのだが、見つかるのか不安になっていると、このLac Long Quan通り沿いにこれが見つかる。
これなら、見逃すことはあるまい。


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なかなか、路地に入るチャンスがないが、ここは、お寺を目指して、ズンズン入っていく。左折して、お寺らしきものが見えてくるが、さらに右折する。
参道のような雰囲気でもあるし、生活感ただよう、路地でもある。


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観光客らしき人はここでは全く見ない。
もっとも、今まで歩いてきた通りも、ヤックラム寺の中を除き、一人の観光客とすらすれ違わぬ。
目立つから、バイクタクシーなのかどうかわからぬ親父たちにも、1ドルと声かけられるわけだ。
ヤックラム寺の七重の塔の下にいた、観音さまのような像をみると、あぁ、ここだ、とちょっとほっとした気分になる。そういう、懐かしさとやさしさがこの像にあるような気もする。


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気が付かなかったが、下に3体のカラフルな小さな像がある。
2体はピンクの蓮?に乗っている。


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さすがに、暑さと疲労感で、ベンチに腰掛、地図、カメラを整理しなおす。
しばし、休憩。
そういった日本の田舎の民家に来た、のどかさがここにはある。異国感より懐かしさに近い。
何百メートル先はバイクの波なのだが・・・。


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三丁目の夕日を地で行く雰囲気の漂う参道路地だ。
狙いを定めて・・・・・、


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ナイスショット!!
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ストラスブール22

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もう少し写真の撮りようもあったのだろうが、なんとも小さく白鳥が写っている。
水辺の向こうはレストランになっているのだろう。

とにかく欧州は川が重要だ。
日本では川は山から細い平野部を抜けて海へ流れ落ちる。
だから、越すに越されぬ大井川であって、輸送を阻むものである。
が欧州は、急流下りなどできぬ、平野をゆっくりと流れる川が多い。
雨も少ないから、水量も一定である。
それが、日本と欧州の決定的な文化の違いを生んでいる。
増水渇水を繰り返せば、水辺に必要なものは、レストランではなく堤防ということになる。

欧州の場合、川沿いにお店が立ち並び、船が行き来する交通路として機能していることが多い。
だから、運河という発想もでてくるのだろう。

日本は、川沿いといえば、桜並木か紅葉並木である。

欧州は、水量が安定、地震が少ない、平野が広い、乾燥していて、雨が少ない。
自ずと全く違う文化が育つというものだ。
この写真も、川であって、お堀ではない。