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2009.11.12

アランソン10

091112
お城脇の緑地もきれいに整備されている。
野放しではない。

さて、先日、ここは、ジャン2世が建てたとお話しした。
アランソン公である。

このアランソン公というのは、2種類ある。
一つは、このジャン2世を含むヴァロワ朝のアランソン家であり、もう一つは、ブルボン朝のアランソン公である。
ブルボン朝であるから、時代はだいぶ違う。

ヴァロワ朝というのは、フランソワ1世で絶頂となる。が、あっさり、ヴァロワ朝は衰退し、ブルボンに取って代わられる。
取って代わるといっても、ヴァロワとブルボンは血がつながっている。

パリにサン・ルイ島というのがあるが、これは聖王ルイ9世から名がついている。
サンといのが聖である。
アメリカにもセントルイスという町があるが、サン・ルイの英語読みだ。

このルイ9世から分かれた家に、ヴァロワ家とブルボン家があるのである。
日本で言えば、武田も源氏、足利も源氏、諏訪も源氏みたいなものだ。


それだけではない。
アランソンの街のサイトを見ると、このお城には、お家断絶となったアランソン公シャルル4世とその母マルグリット・ドゥ・ロレーヌと、妻マルグリット・ドゥ・ナヴァルも住んでいたとなっている。
この妻マルグリット・ドゥ・ナヴァルの弟が、あのフランソワ1世であるのだが、この女性が、ナヴァル王と再婚して出来た娘ファナ3世が、ブルボン朝創始者アンリ4世の母なのである。
もちろん、別な言い方をすれば、ファナ3世はすなわち、ジャンヌ・ダルブレのことであり、カトリーヌ・ド・メディシスと丁々発止やった女性でもあるのだ。

そう考えると、このアランソン城から、ナヴァルへの橋渡しが、ヴァロワからブルボンへの橋渡しであったといえぬこともない。


ナヴァルとは、一体なにものなのか?
そう、これは、バスク地方にあった王国である。

ブルボンのフランス王家は、このナヴァル王も兼ねていた。フランスが統治しておらず、ナヴァル王であるというのが、ある意味欧州らしい。
現在のニュージーランドやオーストラリア、カナダ、ノルマンディ沖のジャージー島などの国家元首が一体誰であるのかを考えると、こういう統治形態というのは、日本になじみはないが、今もあるのだなぁと思わせる。

ちなみに、このナヴァルの中心に、モーレオンという町がある。
この街、最近少々流行った、エスパドリルのメッカである。
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