2008.11.28

ガリア、ゴール、ケルト

081128
ケルトはフランス語でゴール。
シーザーが書いたガリア戦記のガリアもケルトのことだ。

ちなみに、シーザーはカエサルとも言われるし、フランス語ならセザールと言う。
マイケルとミッシェルとミッチェルとミカエルとミハエルとミゲルとミカみたいなものだ。

写真は不明南仏フォルダの写真であるが、ロックブリュヌかなと思われるが、根拠はない。

シーザーの時代もこの風景とそんなに遠からずの風景世界であったのではないかと想像するわけである。もちろん、アスファルトの道路はなかったと思うが。

ガリアといえば、ドパルデューが出たアステリクスとオベリクスという映画があったが、これは、フランス版三国志ともいえるのか?まあ、フランス人の子供たちが読む昔話のひとつだそうだ。
このアステリクスとオベリクスはガリア人、すなわちゴール人、ケルト人なのである。

ガリア戦記を読んだことがないので、近い将来読んでみようとは思うのであるが、この時の大きな戦争であったアレジアの戦いや、この戦いを指揮した将軍ヴェルサンジェトリクスは、今も、パリ14区の通り名に見られる。アレジアはメトロ4号線の駅でもある。

ガロ・ローマ人という言い方がある。ガリア人とローマ人なのか?それらの混血の人たちを指すのかはわからないが、このガロ・ローマ人が、この写真の街付近にも住んでいただろうし、もしかしたら、パリにも、ロンドンにも住んでいたのだろう、ゲルマンに支配されるまで。

原フランス人というのは、当然のことながら、他の欧州と同じく混血であるから、単純にフランスの歴史といっても、どこから?というのはわかりづらい。
日本も、アイヌに琉球に、もちろん半島や大陸からの移民の人達で構成されているから、どこから日本人といえるかはわかりづらい。そも、出雲と大和は同じ民族であったのだろうかなどと思ってしまうのである。

フランスの起源がどこか?といわれても、そりゃ難しいと言うことになろうが、王朝的には、メロヴィング朝からがわかりやすいのだろう。
このメロヴィング朝というゲルマン民族フランク族によって、この南仏まで支配されるのである。
支配と言っても、おそらく税の問題であろうが。
住んでいる人は、おそらく、ガロ・ローマ人などであったに違いない。
とても、ゲルマンの町には見えぬのである。
日本でも、東と西では地名も違えば、人によっては顔つきも違う。

そんな微々たる歴史事実を頭に入れつつ、何となくの年表も頭に入れつつ、次に訪れた街の、教会の立てられた年や町の歴史を読めば、少しは、イメージつき易くなるのではないかと思いつつ、本を読むこのごろである。
スポンサーサイト
2008.11.27

南仏の路地から13

081127
この写真も不明南仏フォルダ入りであったが、教会の形から、おそらくマントンの街であろう。

この路地にかかわらず、教会付近の道は、教会へむかって伸びている。
当然といえば当然だ。
だからなのかも知れないが、こうやって、通りからまっすぐ教会が見えるということが多い。
これはパリでもそうだ。
ちょっとぐらいずれていても良さそうなものだが、ずれていないのである。

ただ、パリもそうだが、あえて計算して造られたのではないかと思われる通りがいっぱいある。
この通りはそれに当てはまらないかもしれないが、どう見ても、参道的?な通りもある。

日本以上に風景、景色、景観というものにこだわりを見せる欧州だから、通りの向きぐらい、その先に教会があるのなら、”わざわざ”見えるように通りができていても、なんら不思議はない。
現代のわれわれにとっては、それを見せる通りとなるわけだ。
2008.11.26

ゲルマン民族

081126
写真を整理していたら、この写真が不明フォルダに入っている。
教会の形や風景から、ロックブリュヌであろう。

鷲ノ巣村と言うのは、サラセン人から守るために、がけの上や山に城壁を持って作られたなどと書かれているが、サラセンとは何ぞや??
どうやら、アラブ系、トルコ系のイスラム文化圏の人たちをサラセン人と呼ぶらしい。

そも、このあたりには、バスク系の民族や、ケルト民族、そしてローマ系の人が住んでいたらしい。
それらの人によって、こういった鷲ノ巣村が作られたようだ。

これが、サラセン、あるいは、ゲルマンの襲撃を受けたらしい。
ゲルマン民族といっても、ドイツとは限らない。
アングロもサクソンもフランクもゲルマンなのである。

だから、平たく言えば、イギリスもフランスもアメリカもオーストラリアもニュージーランドもベルギーもゲルマン系の国なのである。
もちろん、スコットランドやブルターニュなど、ケルトの文化圏もいまだに存在する。
ブルターニュなど、その名の通り、ブリテン島、今のイングランドあたり出身のようだ。

聖徳太子の時代には、すでにプロヴァンスやアキテーヌはゲルマン系のフランク族支配になっているようだから、もう長いこと、ゲルマンの影響を受けた地域がフランス地方なのである。

フランス=ラテンのようにとらわれがちだが、フランスがフランク族支配によって、今のフランス地域が作られたということなら、フランスはラテンではなく、ゲルマンと言うことができるのだ。

そういった意味では、イタリア、スペインより、明らかに英独米に近いところにフランスがあるといってもいい。フランク族がキリスト教に改宗したところなどで、大いにラテンの影響を受けたのかも知れぬ。

むろん、それよりもはるか昔のローマという大帝国が現フランス全土に影響を及ぼしていたことは言うまでもない。
2008.11.25

接続法の概念

ステック
接続法・・・SUBJONCTIF(シュブジョンクティフ)
この話だといっても、今回はフランス語の話・・・と言うより余談である。

ミシュランのガイドが発売された。
この有名なガイドの本を待ち望んだ人もいるだろう。

ただし、ミシュランの星に味がするわけではないので要注意なのである。
星はあくまで星である。
星=絶対的価値ではない。
星=権威であったりはする。

フランス語にシュブジョンクティフ=接続法という動詞の時制がある。
まあ、細かいことはともかくとして、この接続法と言うやつの概念がいかにもフランスらしい。

たとえば、

このパンは私が知る限り最も旨いパンである。

という文章がある。
この時の、最も旨いパンであるという時の動詞はetreでもokだが、このetreという現在形の時制は通常シュブジョンクティフになるのである。

もちろん、etreを現在形で言っても間違いにはならない。
ただし、その場合、全てのパン屋さんのパンを知っていることが前提となる。
全てのパン屋を知っているわけではないのであれば、最も旨いかどうかなど答えられまい!というのが接続法シュブジョンクティフの存在価値なのである。
あくまで、私の知る限りと言う条件つきの最も旨いパンであって、絶対的価値における最も旨いパンではない。
こんな場合に、シュブジョンクティフという動詞の時制、活用が使われるわけだ。
このこだわりもフランスらしいともいえよう。

こんな説明を、フランス語の学校でなんど先生に言われたことか!

すなわち、最も何々であると言う文章を作る場合、
全てを知っていて、最も何々と答えるなら現在形。
全ては知らぬが、最も何々と条件付で答えるのなら、接続法シュブジョンクティフになるのである。


要するに、ミシュランガイドの星は、接続法的星印であって、現在形を使うことのできないものであるのだ。

リスティング、ランキングの大好きなフランスである。
星印というのは、指標のない人達にとって、大変わかりやすいシステムだ。
権威のあるものである。しかし、この選定はあくまで接続法的な存在なのであるから、目くじら立てたり、必要以上に鼻息荒くなることもないのだ。

有名な店、有名な観光地、それだけを全ての価値とみなせば、片目ですら物を見ていないに等しい。

最も有名な店、最も上手な職人、最もすばらしい料理、最も美味しいパン、これらは、通常全てシュブジョンクティフという活用を使うのがフランス語なのである。ここがフランス語らしいところだ。


写真は、昼の定番、ステック・フリットならぬ、ステック・パットである。
マカロニがこれでもかとお皿に盛られている。
ブルターニュ地方・カンタンの街で・・・。
ミシュランの星どころか、調査員も来ていまい(笑)
2008.11.21

南仏の路地から12

081121
路地に日が差すつかの間の時間。
この時間帯だけ、鏡のように反射する、路地の建物壁面を見ることができる。
路地が最も美しい時間帯である。

日本の路地との大きな違いは、建物の雰囲気もさることながら、その建物の高さである。
道幅に対して建物の高さは高い。だから、光の入る時間帯はさらに限られることになる。

写真は冬の南仏である。冬であり、ここは、南仏とはいえ、北海道並の緯度であるから、その太陽の位置は12時でも低い。もちろん、北仏はさらに太陽が低く、日の出が遅く、日の入りは早い。
太陽の位置が低いから、光は12時でも斜めに差す。斜光だ。
だから、冬の太陽は、南仏の路地を陰影はっきり、立体的に映し出すのである。
暖かい時期には見られぬ、風景である。これが路地裏の季節感のひとつかもしれない。


2008.11.20

南仏の路地から11

081120
路地の入り口にある、木材の動物の彫り物なんかが置いてある雑貨屋さん。
手前の置物はニワトリであろうし、看板はおそらく犬でしょう。

記憶は定かでないものの、自分自身が取りたかった写真は、このお店の商品の向こうにぼんやりと路地が見えるといった雰囲気を想像して、シャッターを切ったものと思える。

が、ご覧の通り、路地の奥までピントがあっている、なんともごちゃごちゃした、何を撮りたいの?的な写真となっている。

置物を入れ、看板を入れ、路地を入れ、欲張りすぎの代表的な失敗写真であろう。
が、こんな、失敗写真も、思い出なのである。ただし、どこなのか記憶していればであるが・・・・。

写真より、写真整理が大事なことはこんなことからもわかる。
2008.11.19

南仏の路地から10

081119
路地に限った話ではない。パリでも地方都市でも鷲ノ巣村でも、ちょっとしたところに絵が書かれていることは多い。
壁画であったり、家の門であったり・・・。
デコの本などでも、古い家具に自分自身で絵のペイントを施して飾るDIY的なことが時々載っている。

ここは、もちろん、南仏のどの村であるかは、記憶にない。
ホース入れなのか、何かのメーターなのか?それすらわからないが、とある路地にあるとある壁面に存在する扉である。

石の壁に比べたら、はるかに最近の扉であろう。が、鉄の扉のさびつきも、少々ノスタルジックである。
2008.11.18

燃油代がさがる

JALとANAの燃油代が下がるらしい。来年1月発券分からの話である。
だから、年内に発券されてしまえば、欧州往復は来年発券より燃油代は2万円以上高い計算となる。
あくまで発券ベースであって、搭乗ベースでないことに注意は必要だ。

今年の10月までの原油価格が基準らしいが、その後も下がっているから、12月までの原油価格しだいでは、4月以降発券分の燃油代はもっと下がるのかもしれない。

もっとも、4月以降の運賃が発表されるのは3月以降、航空会社によっては、本当にぎりぎりまで発表されぬということは、先週書いたとおりだ。もちろん、正規割引運賃などは、この条件の限りではないから、航空会社によっては、すでに、4月の航空券も売っている。もちろん、燃油代は発券ベースである。

為替レートの問題もあるから、旅の価格は原油価格だけで決まるわけではないので、こだわりすぎは禁物である。
2008.11.17

南仏の路地から09

081117
南仏路地空編である。
またもや、失敗作のひとつである。
路地と空双方を綺麗に撮るのは難しい。
空がもう少し白く飛ぶほどに撮影したら、路地の雰囲気も出たに違いない。

撮影当時がデジカメなるものは出始めであって、とても、今のように綺麗に撮れる代物ではない時代であったので、当然のごとく、フィルムをX線からの防止ケースに入れ、海外へ持ち運び、帰国後、どきどきしながら現像に出すということをしていたわけである。

道に沿って、空も曲がる。それが、路地の空なのである。
今回も、路地の空にはためく、旗が、かなたに見える。
2008.11.14

南仏の路地から08

081114
どうも、昔から、看板、旗、そんなもののフェチのようだ。

旗フェチというものが存在するのかどうか知らぬが、欧州どこへ行っても、橋や建物の入り口などに旗がたなびいていることがおおい。日本でも、旗とは言わぬが、幟が神社仏閣やお店、駅前に数多く並んでいたりする。こんなのにも惹かれる。

おそらく、これらの色、とその騒がしさ、整然さ、そんな色に惹かれているのかもしれない。
あるいみ、広告する側からすれば、カモである。
意味があるから、そのように飾るのであろう。

スイスのルツェルンへ行ったときも、燃えてなくなったカペル橋ではなく、車の通る大きな橋に旗がたくさんたなびいていたように思う。

さて、写真は南仏。どこかは一向に記憶がない。パノラマ、ローマの道、オラトワールと書かれている道しるべの”看板”があるから、古い教会類のある、古い町並みの、鷲ノ巣村のようなところであろう。
ヴァンスかも知れぬし、サン・ポール・ド・ヴァンスなんかであったかも知れぬ。または、カーニュだろうか?

なぜこの写真を撮ったのか?おそらく看板フェチ所以であろう。横文字は何とも石壁とあうのである。
2008.11.13

燃油代の話

航空券の値段決定の話を先日したので、本日は燃油代。

原油価格が下がった下がったとは言うものの、それでも”まだ50ドル台”である。
これがおそらく40ドル前後まで来なければ、燃油代はなくならないそうだ。

それでも、現時点で欧州往復の燃油代は”べらぼう!”である。往復6万なんて、航空券以外で7万超なんてあほらしくてやっていられない。

この燃油代、現在は高いが、航空券の半年ごとと違い、3ヶ月ごとに更新される。
ついこの前の10月の時点で、燃油代はアップしたばかりであるから、12月までの間に航空券を手にするのは、正直、燃油代が馬鹿にならぬ金額となるのである。

前倒しで燃油代を安くする航空会社も現れるやもしれぬ。
しかし、そうでないのなら、来年に入ってから、航空券手配をしたほうが燃油代を考えると安上がりだ。何しろ、航空券より燃油代が高いのであるから。

ただ、これも、航空券の話と一緒で、10月にあがった燃油代以降、たった一ヶ月でここまで原油価格が下がったのである。だから、来年一月が一体いくらの原油価格であるかは想像しづらい。
もっとも、景気急回復で、原油価格一気に3倍などと言うことが起きぬ限り、元の価格になることはあるまい。
原油価格60ドル台でオイルショックといっていたのだから、つい先日の原油価格はばかげたほどの高さなのである。
なんにせよ、一要因で穀物価格といえ、為替相場といえ、株価といえ、原油といえ、上下が激しすぎる。本日も株価は暴落。明日はどうなるかは誰にもわかるまい。

燃油代はもちろん気にすべきであるが、飛行機の座席数も決まっているので、そこのところも留意は必要だ。燃油を安く抑えられるときまったら、その該当日に一気に予約が埋まることも考えられる。
電話つながるの?状態であったりするかもしれない。

年末に旅をする人でも、燃油代はともかく、ユーロ安の恩恵はこうむるから、それだけでも大きいだろう。つい先日の燃油代くらいなら、ユーロ安で既に元を取るという人も多くいるだろう。

来年以降に卒業旅行で行く人は、そんなことも留意である。座席優先か?金額優先か?日程優先か?期間優先か?宿の予約しだいでも、そんなところは変わってくるだろう。

グローバル化は避けられないのではなく、もう、過去のもの、グローバル化はしてしまったのであるということは、燃油ひとつでも言える。たったそれだけのことでも、全世界から訪れるパリの観光客の数を変動させるだろう。
2008.11.12

南仏の路地から07

081112
この写真も、一体どこの写真なのか?
南仏であることだけは、どうやら確かである。

南仏の鷲ノ巣村などは、以前にも書いたように、芸術家の住む町であり、観光地であったりするわけである。
そんなことから、こういった古い鷲ノ巣村などには、お土産屋やギャラリーなどがいっぱいあるということにもなる。
だから、路地脇に可愛らしい木製、鉄製、銅製などの看板を見つけることができる。
そんなに飾り気のない看板から、これは職人技でしょう!といったものまで楽しめる。

こういう一瞬見える、路地の雰囲気を切りとる楽しさも写真にはあるのである。
その、ああ~っ、なんかいい感じ!と思った瞬間がシャッターチャンスなのだ。
誰にも文句を言わせない、誰にも評価されなくてもいい、あなたの脳に振動を起こした風景が切りとられていれば、それでいいのである。
同じ場所であれば、同じ写真になるわけではない。とくに路地は光でその表情が変わることは既に述べたとおり。
2008.11.11

航空券の値段

航空券の値段と言うのは、半期に一度決まる。
10月から3月、4月から9月である。
よって、10月と4月の航空券と言うのは買いにくい。

航空会社によっては、ぎりぎりまで値段が決まらないからだ。
値段が上がるのか、下がるのかなどは、そのときの情勢、経営、その他で決まるのであろうし、その値段を出すタイミングも、ライバル競合との兼ね合いもあるから、遅れると、それこそ9月30日か3月31日に発表なんて事にもなりかねない。

昨今は、燃油代の高騰もあって、また、下がったとはいえまだまだ高い原油の動向もあって、なかなか決まりづらいのであろう。


購入者にとっては、原油の動向による燃油代アップなのか下落なのか?、どこまで予定を優先させるか値段を優先させるかで、10月4月、場合によってはGWの航空券の依頼時期が決まる。


グローバル化が進み、こうした原油価格や為替レートがますます旅人の財布を直撃しやすい状態になっている。貧乏人のわれわれは、主婦が織り込みチラシのスーパーの価格を気にするように、為替と原油を気にせざるを得ない。そんなの、別に気にしなくてもいいんじゃない?と言ってみたいものであるが・・・。


ただし、八卦の部分もあるから、やりすぎは失敗の元であり、せっかくの旅が、為替ごときに振り回されて楽しくなくなってしまうなんていうことが起きぬよう、程ほどに。旅の本質ではないからである。
やらぬ=やりすぎであり、異国の旅の成功の秘訣は”程”である。

人より多くの旅の情報を集めることは大変よろしいが、人よりたった1円2円の為替を安く替えたかなどにこだわってしまうのは、愚の骨頂である。こうした、変動の大きな時代には、必ず、瑣末事項に踊る人が出てくるものである。所詮、貧乏人のわれわれが換金する金額はしれている。

まずは、航空券の値段発表の時期がわかっていれば、しなくてすむ大きな失敗はしないというものである。値段発表があるのは3月と9月がメインである。自身の出発日を考えつつ、現時点で発表されている金額は一体、どういった金額なのかを知ることは大事である。

今日の時点で気にすべき出発日は2009年4月以降の人である。もちろん、燃油代の話は除く。
2008.11.10

南仏の路地から06

081110
路地の壁に道祖神ならぬ、女神像。

パリでは、なかなか、このような路地の女神像を見ることはないが、小さな村の壁面には時々出会うこともある。もちろんパリにも、出会うことができないわけではない。
そこそこ大きな町だと、もっと大きな女神像が、建物壁面にあることもある。
そこまで大きいと、その町の観光局で手に入れられる観光ガイドマップなどに載っていたりする。

が、このような小さなものは、通りすがりの観光客のみに、出くわすのである。

綺麗に積み上げられたわけではない、荒い感じの石壁も時代物であろう。
2008.11.07

南仏の路地から05

081107
ヴァンスだったかなぁ?と思える写真である。
広場から、路地が延びている。

迷宮に入っていく楽しさが細い路地にはある。
目線のいちにある表札や、少々上の位置にある看板も、目を楽しませてくれることもある。

そうかと思えば、犬猫たちが、道端でお出迎えしてくれることもある。
路地から路地、路地から広場、カフェからアンティーク、パン屋から雑貨屋、お土産屋から地元のレストランまで、村の楽しみは尽きない。
2008.11.06

南仏の路地から04

081106
女性誌のいくつかは、旅行のガイドと言うわけでなくとも、外国の撮影物も多い。
フランスは当然多い。

パリであったり、南仏であったり、ノルマンディであったり・・・。
こんな、南仏の路地の階段手すり部分にあたる石へ腰掛けてのシーンなど、よく見かける。

そんなシーンに自分が納まって写真を撮ってもらうのもいい。
もちろん、自分と周囲が楽しむべきものであって、人に公開してはならない(笑)

絵を見るのが大変な人が、自分の家に飾る絵だったり、自分が買うとしたらどの絵などと考えて絵を見るといいといったような話を、ためしてガッテンでやっていたような気もするが、この街歩きも、自分が写真に納まったら絵になるなと思う風景、写真にとって飾ったら、さりげなく、いい分言いになるなと思える風景を探しながら歩くのがいい。
そのとき、けして、ドカン!とエッフェル塔が写っている写真より、あのトイレに飾ってある写真って、どこ?ってきかれるような、さりげなく、センスのある切り取りが楽しいのである。

今回含め、現在紹介している膨大な失敗写真の中から、きらりと光る写真が取れるかも知れぬのだ。
そんなことはわしの技量ではまずないが・・・。

自分が納まっている写真は飾ってはならぬが、自分が納まっていることを意識して撮ってもらうのはいい。せっかくだから、普段自分がとらぬポーズで写るべきである。
思い出になること間違いない。

そんな場所、そんな風景やオブジェを探しつつ、なにもイベント的要素がなくとも楽しい。
つくっていない、さりげない写真を撮るには、撮られている本人が気が付かぬように撮らねばならない。頼まれて撮るなら、おふざけの方が良い。
2008.11.05

南仏の路地から03

081105
これもどの街だったか?はっきり記憶がない。
ヴァンスだったか、カーニュだったか?それ以外か?

街のあちこちにぶら下がる、ガス灯型のライト。
こういったものは、今はナトリウム灯などがついているのだろう。
この鉄とガラスでできた灯自体も、それなりの時間を過ごしてきたものに違いない。

オレンジ色の光に街の闇が照らされると、やはり、煌々と白く光る日本の蛍光灯に比べれば、副交感神経が刺激される情緒あふれる、あたたかい、癒しの光となる。
そんな光に、石の壁たちがマッチする。
これも、欧州路地の雰囲気のひとつである。
2008.11.04

南仏の路地から02

081104
路地にバイクが止めてある。
写真では見づらいが、バイクの後輪に頑丈な盗難防止の錠が付いている。

フランスではごく当たり前にこの頑丈な錠を見ることができる。
盗難が多いのだ。

パリの道端にある自転車も時々、サドルがないやつなどあったりするが、頑丈な鍵をつけておいても、サドルだけ盗まれてしまうことがあるのだそうだ。
だから、自転車を置いて、サドルは持ち歩くと言う人もいるくらいだ。

バイクのこの太い鉄の錠は、日本でも見られるものであるから特筆するには当たらないが、こんな、南仏の小さな村で、このような光景を見ると、ついつい、パリの自転車を思い出してしまうわけだ。

もちろん、右手の家の入り口上部の飛び出た木なのか石なのかのオブジェも気にはなるが・・・。