2007.10.31
サンシュルピス教会

2007年秋時点でもまだ工事中である。が、中に入ることは出来る。
この2つの円錐状の塔が印象的な教会は、内部にドラクロワの絵があることで知られている。
サンジェルマンデプレ教会裏のドラクロワ美術館は、ここの絵を描くためにドラクロワがその場所に住んだようだ。
それだけ、ここの教会の内部の絵に精神を集中させたのだろう。
入ってすぐ右側の部屋がドラクロワの絵である。
丁寧にも、ドラクロワはここだよと紙に書かれた字などで矢印もあったりするので、絵があることを知っていさえすれば見逃すことはない。ドラクロワ好きの人で、ドラクロワ美術館にいって、ここへ来ないのは片手落ちである。
その他、杯って左側の中ほどに、オベリスクなどもある。
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2007.10.30
サンジェルマンデプレ教会
2007.10.29
サンテティエンヌデュモン教会
2007.10.28
サントーギュスタン教会

比較的新しい教会だ。サンラザール駅からも近い、そして、パリでも大きな教会の一つだ。
歴史的価値というより、その圧倒的な存在感と、ランドマークとしてこの界隈で重要な位置を占める。
オフィシャルホームページによるとレアルのデザイナーが第二帝政時代にデザインした協会らしい。19世紀後半に建てられている。
メトロ9号線の駅名にもなっている。
この教会の最も印象的な部分は、その圧倒される巨大な重そうな図体の上に乗る赤い鉄の尖塔である。
そして、その圧倒されるファサードも印象的だ。
ここの前、オースマン大通りをバスで横切る場合も、あの教会は何?と何度人に聞かれたことだろうか?それほど印象的な教会なのである。
マドレーヌ寺院の広場からも、マルゼルブ大通りの向こうに、通りをとうせんぼするかのようにその威容を誇っている。
2007.10.27
サントゥシュタッシュ教会
2007.10.26
サントトリニテ教会

ギャルリーラファイエットへ買い物に行けば、遠くの突き当たりに見える教会が、サントトリニテ教会である。
12号線のトリニテ駅で降りて、ここへ行くのはもったいない。
ショッセ・ダンタン駅で降り、ショッセ・ダンタン通りを上っていくのがいい。
19世紀に、半ゴシック、半ルネサンス様式によって建てられている。いわゆる、パリ大改造計画中の教会である。
教会の内部奥が少し高くなっているので、振り返ると、椅子の部分を少し上から眺められるような構造になっている。
教会の手前の広場には公園があり、教会が建てられている部分と公園に段差があるので、その時計台部分の高さが一掃際立つ。
時計台部分の下側には聖人達の像が並ぶ。
この時計部分を含めて、いわゆるこの界隈のランドマークとなっている。
2007.10.25
サント・シャペル
2007.10.24
モントルイユの蚤の市
2007.10.23
アリーグル市
2007.10.22
サクレクール寺院

サクレクール寺院はその白い壮観な建物ゆえ、また、モンマルトルの陸の頂上に建っているゆえ、圧倒的にパリで目立つ風景である。
シャルルドゴール空港から、バスであろうと、タクシーであろうと、RERであろうと、パリに入るときには、この建物が最初に見えてくる。
日本や韓国の電機メーカーの看板の見える、高層ビルたちが見え始めたら、注意して見ていると、丘の上に立つサクレクールを見つけることが出来る。見えたら、もうすぐパリである。
また、パリのいたるところからサクレクールを見ることが出来る。
パリの地図を広げて、サクレクール方向へ向かってまっすぐ伸びる通りであれば、直接モンマルトルまで行っている通りでなくとも、サクレクールを拝むことが出来る。
そういう意味で、自分の方角を知ることの出来るランドマークでもあり、また、サクレクール自体が、通りの借景となっているところも多い。自分のお気に入りサクレクール図を見つけることも楽しみの一つだ。
もっとも有名な絵面としては、サクレクールの丘下からの風景であるが、ノートルダムドゥロレット教会へまっすぐ伸びるラフィット通りや17区と8区境のバティニョール大通りや、パリ天文台大通りあたりからもサクレクールを眺めることが出来る。
また、ユトリロの絵に度々登場するのだが、有名な絵としては、路地のようなサンリュスティック通りからのサクレクールの眺めなどではないだろうか。
2007.10.21
マドレーヌ寺院

マドレーヌ寺院は、コンコルド広場を挟んで、国会議事堂と対を成すように建っている。
写真は、マドレーヌ寺院階段上部からコンコルド広場のオベリスク、その先の国会議事堂、そして右奥にはアンヴァリッドの黄金の屋根が見える風景を望遠レンズににて撮影。
よって、写真はマドレーヌ寺院からの風景であって、マドレーヌ寺院そのものではない。この風景が、ここのごちそうだ。
このマドレーヌ寺院から、オペラ座までを通称日本人通りとも言ったそうだが、ここも、オペラ大通りも、日本人観光客の必ず立ち寄るところである。日本人出現率、パリにては双璧の通りといえるだろう。
マドレーヌ寺院はギリシャ神殿のごとく太いコリント式列柱にが印象的な建物である。その柱ゆえ、圧倒的なインパクトを感じさせる建物だ。
2007.10.20
ノートルダム寺院
2007.10.19
ワイン博物館

16区のPASSY駅近くにワイン博物館がある。
結構いいお値段がするわけだが、ワイン一杯ついてくるので、けして、帰ってしまわぬように。
出来れば、下戸の人で行きたい!という人がいれば、一緒に行くと、相手の分まで頂ける、というせこい方法もある。
そもそも、一杯ワインがもらえるなどと知らずに行ってしまって、そそくさと博物館から出て、メトロに乗って、博物館入り口にあるワイン博物館の資料なんぞを見ていたら、ワイン一杯サービスしますとのこと。
えーっ!知らなかった、出ちゃったよ!ということで、再度訪問したのである。
ワインにまつわる多くの展示物が、迷路のような地下通路のようなところにある。収穫、貯蔵、飲むためのグッズまで展示されている。
最後の楽しみは、ワインの試飲。
受付のお姉さんがいなければ、(いなくなっていることが多い)来るまで待って、ワインを頂くこと。
行ったときはGAILLACガイヤックの赤ワインであったが、赤か白かロゼかを聴かれた記憶がある。
まあ、それが、普通にスーパーで買ったワインかもしれないが、AOCがスーパーで売っているフランスだから、それも当たり前かもしれない。
日本じゃ、1ユーロ以下でAOCが買える事はあるまい。
飲めれば、それだけで、良い気分になれる。
2007.10.18
パリの秋6ブキニスト

パリの河岸沿いの一つの風景として、ブキニストがある。
東京調布の溜まり場のカフェ、レキューム・デ・ジュールにも、知り合いの家にも、パリの古い時代の地図が貼ってある。
パリもその他欧州の都市と同じく、または、世界の他の国の都市と同じく、城壁に囲まれていた。
その頃の、地図なんかがあると、勝手に、ジャンヌダルクを想像してみたり、城壁を抜けて逃亡したルイ16世やマリーアントワネットを思ってみたり、妄想を膨らますことが出来る。
そんな地図なんかが、こういうブキニストの中に眠っているのかも知れないが、どうも無精なので、探してみたことはない。
忙しく、忙しく、過ごしていると、ブキニストでじっくり物を探す時間などなかなかない。
フランソワ・ミロン通りにも、古いパリの物を扱う、お店であるのか、事務所であるのかがあるのだが、覗いてみたことはあるが、中へ入ったことはない。何となく、敷居が高いと勝手に想像してしまうのだ。こんなところで、地図ありますか?なんて言った日には、とても良い、とても高い物が出てきそうで、臆病な私は、外から、何となく眺めるだけである。
そんなわけで、地図を手に入れてはいない。
何気なく、部屋のどこかに飾りたい、飾って、妄想してみたいと思うのだが・・・。
女性は地図が読めないなどといわれるが、こういう古い地図なんぞであれば、男女とも妄想の世界に入れる人はいるのではなかろうか?
ブキニスト越しに紅葉を撮影。
2007.10.17
パリの秋5

以前、とあるフランス人に、”パリの秋には、曇りが多いからね”といわれたことがある。
この時期、緯度が高いからか、乾燥しているからか、太陽が出ていると出ていないではまるで違う。
日の当たらないところは、べらぼう寒い。
大抵10月中ごろから、セントラルヒーティングのアパートは暖房が入り始めるのだが、それも、アパートそれぞれによる。
セントラルであることは、お湯も出放題であったりするので、そういう意味ではタンク式のお湯でないぶん、使用量などを気にしながら、風呂や荒いものをする必要がない。
しかし、セントラルであると、この時期に、一体いつ暖房が入るのか?それが自己都合とは行かない。
壁のあたりに張り付いているオイル式の暖房の元栓を、まわせどまわせど暖かくはならない。
また、冬になると、この暖房器具に張り付きになってしまうことも多い。寒いからだ。お尻や脚をはりつける。
セントラルの唯一の弱点である。
もっとも、セントラルでないところの暖房器具もしけたものも多く、電気代ばかりかさみ、触ると、むちゃくちゃ熱いという器具が多い。
楽しくはない暗いパリの冬が始まる。
2007.10.16
パリの秋4シュミネ

セーヌにかかる橋越しに紅葉を撮影。サンルイ島。
ノートルダムの尖塔もみえる。
各アパートのエントツたちも見える。
以前いたアパートの1階が火事になったことがあった。
火事になったこと自体知らなかったのであるが、激しくドアを叩く音に反応して入り口の扉を開けると、一気に10名ほどの消防士が入ってくる。
キッチンを確認し、窓からでて屋根にも上る。
どうやら、俺のところが疑われている?
が、窓から出た消防員が、シュミネ!シュミネ!!といって戻っていた。
壁が熱くなっている。ここから、熱い煙が上がっていったのだろう。
おかげで、うろ覚えだった、シュミネという単語が煙突という意味であることを、体験をもとに確実に自分のものになった。
シャンパンも、火事元のお店から頂いたが・・・。
2007.10.15
タバに於いて、メトロ、バス、トラムの切符を買う

最近は、メトロ駅の改札にある切符売り場が自動化されている。
すばらしいことに、お札が使える奴もある。
これがすばらしいところに、悲しさもあり、また、日本のお札のすばらしさというのもある。
フランス語留学で扱う教科書にも、日本のお札がすぐれているなんてかかれている本もあったが、自動販売機事情を考えれば、明らかにそうだろ。
この切符売り場の自動化。すぐれていない点も多い。
まず、言葉が分からなきゃ買えない。
アン・カルネ・スィル・ヴ・プレ!と呪文のように唱えればよかった。
走すれば、少なくとも、カルネは買えた。
そもそも、全ての機械がそうであるか分からないが、モビリスがない。
機械に向かって、英語で、ワンデイチケットプリーズと言ってみても、機械は何もしてくれない。
図体はでかいが、してくれることは限られている。
また、日本人の美点でもあるのだが、後ろに列を作って並ばれると、焦る。こんな精神状態で観光客に切符を買わせようなどというのは、ちょっとどうかなぁとも思う。
その点、写真のタバコやであるタバ。ここに写真にある青緑のような色の看板(切符の看板)のお店であれば、カルネや切符を変える。
こんなところで、カルトオランジュなんぞが変えるのかどうかは知らないが、少なくとも、カルネまではokだ。
ここなら、前出の呪文を窓口で唱えさえすれば、切符を手に入れることが出来る。結構パリ市内にあるのだ。
わざわざ、地下鉄の駅まで行く必要も、階段を降りる必要もない。
いずれ、ホームページでも解説するが、機械で買うことは、そんなに難しくはない。
が、呪文を唱えることに比べると、難しい。
フランス語の出来ない人に、機械の使い方を口頭で教えるのは、大変面倒だ。覚える方も、難しいです分かりませんシャッターをおろしてしまう人には、とても覚えられないだろう。
呪文唱えて!といえたほうがどれだけ楽か。
まあ、諸外国は知らないが、これも実はフランスらしい実態なのである。
現在、切符は白色にかわりつつある。前時代の紫も残っている。
タバにある看板の色は、その前の時代の切符の色だ。
さすがにそこまではかわらない。
日本国なら、おそらく変えるだろう。
2007.10.14
パリの秋3モンパルナスの葉
2007.10.13
疲れて、クローネンブール

パリのサンミシェルのカフェにて
観光というものは、かくも歩き回るものなのか。
貪欲に歩き回れば、多くのところを訪れられるが、体力というより、脚に限度が来る。
まして、ねばならないでまわってしまうと、最後は気力のみの勝負となる。
ただそのまま、アパートへ帰るのもどうか?
この日は、サンミシェルのユシェット通り散策が最後だったから、RERへ乗る前に、目の前のカフェで一息。
ああっ、うまい!の前に、ブログ用に写真とり。
カルティエ、トゥーリスティックなカフェは、多くのパリジャン、パリジェンヌに敬遠されがちであるが、観光目的の我々には、それはそれでよい。
たいてい、場所的に良いところにあるからだ。
サンミシェルなどで、疲れた体を引きずって、安いカフェを探すなど、愚の骨頂である。
お隣のお客さんは、英語を話す、家族旅行の方達であった。
ああっ、うまい!
多分、ビールは”クロ”であったと思う。
2007.10.12
パリの秋2、アラゴ大通り
2007.10.11
アベイユ・シャンパーニュの旅参加者
2007.10.10
ランスの大聖堂
2007.10.09
モエ・テ・シャンドンメゾン見学

エペルネの観光局は、シャンパーニュ大通りの入り口付近にある。
そこから、この通り沿いに、多くのメゾンが並んでいる。
一番最初に目に飛び込んでくるのが、モエ・テ・シャンドンの建物なのだ。
どこも、たいてい金色の文字で、メゾンの名前を記しているが、ここもそうだ。
入り口を入ると、ドンペリニョンの銅像が目に入る。
その右手からカーヴのツアーへいける。
日本語のツアーもあるが、ここは、午前は11:30まで、午後は14:00からである。
観光局から電話で確認することもできるし、ここの受付で日本語のツアーの時間を確認することもできる。
雰囲気としては、時間が決まっているわけではないようだ。
一番安いもので11ユーロ、他18ユーロ、それ以上のものもあるが、最後の試飲の違いである。
われわれが訪れたときは、14:45からの日本語ガイドツアー。
ツアー客は11人の日本人であったと思う。
日本人のお姉さんに説明を受け、ビデオを見、カーヴへと入る。
最後には試飲、そして、お土産のお買い物と1時間ほどのツアーである。
日本語ツアーがなかったらどうしよう!!と思いつつ行ったので、日本語で話しが聞けると、ちょっとほっとする。
当たり前だが、日本語が一番良く理解できるわけだ。
写真は、カーヴ内のもの。カーヴ内、17番地である。
2007.10.08
シャンパーニュのトラブル

土曜日は週末日帰りシャンパーニュの旅の予定であった。
が、ただでは終わらなかったのである。
金曜日に購入したチケットの日付が、行きは6日土曜の日付。
帰りは、購入した日、すなわち旅行の前日の日付であったのだ。
それはありえないでしょう!!!
気が付いたのは、帰りの直前。
窓口のミスじゃないかぁと掛け合うものの、”あなたの言いたいことはわかっています。私たちには何もできません”とのこと。
すでに列車もなく、REIMSに一泊となってしまったのである。
必ず、日付、確認すること。
大きな教訓である。高い授業料である。
一緒に行った皆様には大変ご迷惑をおかけしました。
写真は、まだ、このトラブルをすでに起きてしまっていることを知らずに、周った、EPERNAYの街。シャンパーニュ大通り。
いわゆるシャンパン大通りである。
数々のメゾンが立ち並んでいる。これも、その一つ。
2007.10.06
パリ、すし

本日は、久々に晴天であるが、寒い。寒さが戻ってきたようだ。
シャンパーニュ旅行へ出かける面々と東駅で待ち合わせ。
5人でカフェに入り、談話に花が咲く。
午後から、教会の締めとも言うべき、ロンシャンの僧院へ出かけるものの、案内看板が見つからず、ロンシャンの風車、、ムーラン・ド・ロンシャンの周りをぐるっと回って、あきらめる。
写真は5区を歩いていたときに停まっていた、車。
この近くのモンジュ通りにこの店があるようだ。
宅配?
やはり、すしは日本で食うべきもので、こちらで食うべきものではないように思う。場所の問題というより、味と値段の問題といった方がいいだろう。
スシは市民権を得ている。まあ、いたるところでこの文字を見る。
馬の名前にもSUSHIというのがいるほどだ。
2007.10.05
パリの秋1

本日は夕方晴れるものの、一日中曇天。
写真は、セーヌ沿い、サンルイ島の並木。
パリの秋は、赤よりも黄色が多い。
セーヌ河岸は秋は黄色に覆われる。
シテ島、サンルイ島沿い、右岸沿いは、セーヌ両岸が黄色で覆われて美しい。この時期ならではの風景がある。
現在、さまざまな教会を訪れているわけだが、本日訪れた、9区サントゥージェーヌ教会はなかなかしびれる教会である。
サンテティエンヌデュモンのステンドが一番良かったと書いたが、ここも大変すばらしい。ゾクゾクくる。
好みは分かれるだろうが、時間のある方はぜひ訪れてみてください。
観光客などほとんどいませんが、体育館のように、二階もあり(上がれない)つくりも変わった教会である。
2007.10.04
パリの教会めぐりで罰当たる

本日は天気予報どおり、朝方霧の都と化した。
気温が上昇したからかもしれない。
ここ三日間は、歩きまわると、おでこに汗が。
本日は冷や汗をかくことになるが・・・。
さて、昨日、少々睡眠不足だったこともあり、昼寝を敢行。
小一時間ほどたつと、外には太陽の光。
本日の目標である、教会めぐり9箇所の残り5箇所に向けて出発した。
8個目の教会の脇で、写真を撮っていたのだ。
撮り終わって、半歩前に進むと、股間に激痛が走ると同時に、前へ進まない。
杭が股間直撃である。
半歩だからいいものの、痛さは半端ない。
写真にあるパリのあちこちにある杭である。
どこにでもあるし、こんなものの写真を撮ろうとは考えなかった。
この杭をみて、ああ、あるある、パリにあると思う方もいらっしゃるだろう。
股間といっても、ちょっと上。すなわち男だけの痛みではなく、男女ともおそらく痛いだろう、骨の部分に直撃である。
足の長い御仁は大丈夫かも知れないが、女性は危険である。
何しろ、足の短い私が直撃したわけだから、私よりも背の低い女性はおんなじ痛みを味わう可能性がある。
太陽に誘われ、いつもより長く、外を歩いていたからか?教会の写真をぱちぱち撮っていた罰でも当たったのか?
何かしら起きる毎日である。
股間打撲ですかねえ?
2007.10.03
よこそう改めようこそ

本日も、あまり天気は良くない。曇り、雨、曇り、雨・・・。
雨は続きはしないため、出かけられる。
温度は、先週に比べると高い。
長袖で動き回ると、ちょっと汗。
天気の関係もあり、本日の教会巡りは、依然何度もお邪魔している教会たちに、再度なかの撮影をしにお出かけ。有名どころばかりだ。
久々にノートルダム寺院の中に入る。
すげえ!!ここのバラ窓は何度見ても凄い。他色々あるんだろうが、今回30箇所近くの教会に入っているが、やっぱり圧倒される。
観光客の数にも圧倒されるが、ここは教会というより観光地といった方が的確な表現であるように思う。
いりぐちに、いろんな言葉で、いらっしゃいませが書かれている。
何年も前からあるわけだが、最初見たときは”よこそう”であったが、今回は後ろの”う”がマジックか何かで消され、”よ”と”こ”の間に”う”が書き足されていた。
なぜこのようなことが起きるか?アルファベットで書くと”YOKOSO”なのである。して、”よこそう”とも”よこうそ”とも”ようこそ”とも”よこそ”とも読める。それゆえだろう。
ちゃんと確認しなかったんだね。
新しいバージョンは、すでに直されている。
写真は17区の区役所前のカフェ。
最後にまわったバティニョールの愛らしい教会を終えて、カフェにて一服。
パリのどの教会のステンドグラスがいいかと聞かれたら、今のところ、サンテティエンヌ・デュ・モン教会と答えるだろう。
インパクトではサントシャペル、ノートルダムのバラ窓に勝てないが、やはりここが一番にいい。
2007.10.02
錠前博物館はなくなってしまったのか?

本日は午前中、雨、雨が上がり、その後豪雨。
午後2時ごろから雨も上がり、太陽も顔を出す。
思ったよりも暖かく、そして、湿気が凄い。日本で感じるような湿度である。
雨が降っていたので、外での写真をあきらめ、美術館めぐりでも・・・と思い、サンポールで降りて、錠前博物館へむかう。
ついた頃には、雨やむんだろうか?という感じになってきた。
博物館のある前に来ると、扉が閉まっていて、横に、オープンの時間などの書かれた文字がある。
”ギャルリー・リベラル・ブリュアン、近代、現代美術、火曜から土曜14時から19時”
あれれ、無くなっちゃったの?錠前博物館?
土日休みの錠前博物館と思ってきたのだが、他の美術館同様、月曜休みのギャラリーである。
雨もやみそうな気配に、3区教会散策へと切り替えた。
写真は、錠前博物館?前から少し遠めをパチリ。
2007.10.01
おい、バスよ!どこへ行く?

本日は16区の蚤の市へ出かけた後、昨年できて話題の、ケ・ブランリー美術館へ。
午前中の予定であった。
現在のアパートから、蚤の市会場まで、メトロで遠回りしながら2度ほど乗り換えるか、バスで一本で行くか、迷った末、やはりバスでしょう!ということでバス停へ行く。
62番のバスで徒歩5分圏内につけるはずであった。
目的のミラボー橋までバス停13個。
バス停に着けば、6分待ちでバスが来るとのことだから、バスもメトロも本数の少ない日曜だし、バスにして正解と思ったわけである。
そして、4つほど手前のフェリックスフォールに着いた時点で、バスの運転手が何か言う。言っている。
そもそも、バスの運転手が何かマイクで言うなんて、想像もしていないから、まったく聞き取れない。
周りの人のうち、半分は降りる。
バスが発車する。
おいおい、どこ行くんだい?このバス、延々とミラボー橋までまっすぐ行くんじゃないのかい?
曲がってしまった。
よくよく思い出してみると、プロシャン(次)という単語とディレクトモン(直接)という単語だけは耳のどこかに残っている。
どうやら、途中ショートカットして、終点へ一気に行っちゃうらしい。
だいぶ先だなあ。さらに、渋滞。
結局、だいぶ行った途中で降りることができ、そこからメトロ利用。
えらい遠回り。バス停4つなら降りて歩いちゃえば良かった。
とは言うものの、聞き取れていないのだからしょうがない。
こりゃ、えらいタイムロス。
途中でメトロが止まってしまったり、バスにこのようなことが起きるのは、フランス、パリでは、まれに起きる。大雪でもなく、大雨でもない、穏やかな晴れの日であっても。
蚤の市へ行った後、ケ・ブランリー美術館へ着くと、45分待ちの看板が・・・・。もの凄い人。人気なんだぁ。
で、結局あきらめました。
写真は、午後行った、ヴァンサンヌ競馬場の大きなレースの合間に踊るお姉さんたち。おやじたちに囲まれている。
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