2007.09.30
パリ10区区役所

本日は、昼前から、太陽がこんにちはと言ってきたので、朝の蚤の市から戻って、10区教会めぐりへ出かける。
偶然なのか、そこがそうなのか、めぼしい観光地の教会ばかり行っていたせいだろうか?
教会にも昼休みがあったのだ。知らなかった。
で、北駅前で、しばしお茶をして時間をつぶし、リーダープライスで、リーダープライスブランドの一リットルの格安オレンジジュースを買い、再度行ってみると、開いていた。いや、開けていた。
いくつかある入り口のまだ一つ目を開けた段階で、入ってしまったのだ。だから、門番?のおじさんは、まだまだ、他の門をあけるお仕事中であった。
その他二つほど教会を回ったが、あっちへ回り、こっちへ回りしたが、扉は開かず、いずれも中へは入れずじまい。ステンドグラスも中に入ってなんぼであって、外からでは味気ない。
そんな途中で、東駅からパリ市内へまっすぐ伸びるフォーブールサンマルタン通りを撮影。あんなところに教会?あった?。
地図で確認すると、どうやら10区の区役所らしい。
市役所すなわちオテル・ドゥ・ヴィルはガイドに乗る名所のひとつであるが、なんの、なんの、区役所もたいていは歴史的建造物を使っているのである。
多くの場合、広場に面していたりするが、この10区は通り沿いだ。
観光局も無いような地方では、役所へ行って地図をもらったりするのだが、区役所でもなにか、区の地図なんぞもらえるのかもしれない。
スポンサーサイト
2007.09.29
雨、雨、雨、寒い

本日は一日中雨。やんだかなと思えば、ばらばらばらとまた大粒が・・・。
蚤の市をまわっていても濡れる濡れる。
夜は薄い布団ではかなり寒い。暖房している人もたぶんいるのだろう。
とにかく、最近は教会めぐりが主になっている。
写真はサンロック教会。1区である。サントノレ通り沿いである。日本人の多くが訪れる、観光客の多くが訪れるメトロのピラミッドとテュイルリーの間の教会だ。
そもそもサントノレ通りにあるから、この教会の前を歩いた日本人は、うん百万人はいるのではなかろうか?
そこの教会のステンドグラスである。
確かに、サントシャペルはもの凄い。ノートルダムも有名この上ない。
サクレクール寺院もそのポジショニングと外観から大人気の教会である。サンジェルマンデプレ教会もガイドブック作成にはずしてはならない教会だろう。
パリには、パン屋さんの数やカフェの数ほど教会があるわけではないが、かなりある。
このサンロック教会も入ってみると、ファサードの感じから受ける、そんなに大きくなさそうな教会ではなく、中は結構広い。
有名教会でなければ、観光客の数はぱらぱらとしかいない。
こんな、サントノレ通り沿いの教会でもだ。
それでも、パリのはずれのガイドブックに載らないような教会でも、デジカメを持った観光客の方を見かけることは、ままある。
どこの教会が良いとかではない。ここの教会がすばらしいというわけではない。いくつかの教会をのぞいてみると、それぞれ、雰囲気も作りも素材もステンドグラスも違う。結構違いがはっきりしているし、外観はそのカルチェの顔になっていることが多い。
大きい建物なのだから、当然ではあるが。
いくつかの教会は、中で現代アートや民族アートを展示していたりもする。パイプオルガンの練習が聞けることもある。
どやどやとがやがやと観光する場所なわけではないが、ぶらりと中へ入ってみるのも、外とは違う空気感にふれられていい。
2007.09.28
おやじのキッス

本日は、午前中どんよりとしていたものの、午後から日が出る。
現在、夜だが、また雨である。
そんなことで、本日は午後から外へ繰り出す。
太陽が出ているのと、出ていないのでは、建物の印象が変わってしまうのだ。だからといって、時間を無駄にできるわけも無い。
昨日、何かやっていて、写真を遠慮した13区の教会からスタート。
その後、1区へ移動し、ポンヌフで写真をパチリ。とにかくパリは寒い。
ダイエットしなければならない私でさえ、寒い。時間帯と天気によっては、冬のようだ。先週よりも寒い。
少なくとも、ここのところの冷え込みで、紅葉が一気に進む。
セーヌはどこをとっても絵になるが、ノートルダムなどのモニュメント背景のセーヌの写真で記念写真を撮るのはお勧めでない。
モニュメントはモニュメントだけにしておいた方がいい。
行ってきました写真より、セーヌがメインのセーヌが背景のところで人物写真を撮った方がいい。
で、このあと、事件はおとずれた。
オルフェーブル河岸を通って、サンミシェル橋を渡ってメトロ4号線に乗る。
サンドニ通りの教会の撮影をしにレアルで降りる。
一番前のエスカレーターを上がれば、教会が近くに二つ。
このエスカレーターの自分のすこし前におやじが二人乗っている。
二人とも、杖をついている。
前のおやじが、後ろに倒れそうになるものの何とかこらえる。
どんな乗り方してるんだ・・?
次の瞬間、後ろのおやじが、足だけエスカレーターで上がってゆき、体は動かずまっすぐ後ろに倒れた。
なんだか、妙な倒れ方だが、あわてて駆け寄る。
頭は打ってない。
前のおやじが何かを叫ぶ、エスカレーターが止まる。
止めろーと叫んだのだろう。
足が上で体が下方向に倒れているおやじを起こす。
歩いて、上まであがる。そこで、二人のおやじと握手したわけだが、助けられたおやじが、手にキッスをする。
ありがとうはいいけど、おおげさ。
ありゃ、おやじのキッス、こりゃきもい。
普通に考えると、ありえない倒れ方に、こりゃ新手のスリか?とも思ったが、倒れ方も強烈だからそうも言ってられん。
しかし、コントのような倒れ方であった。
スリか?と思わずにいられないところが、パリの悲しさでもある。
2007.09.27
メニルモンタンでパスタを仕入

本日は、朝から雨、そして、昼前後は晴れ、2時ごろから雨。
パリを訪れると20区詣でが何回かある。
現在、パリの教会と道なんぞをぐるぐると回っている。
20区では、ノートルダム・ドゥ・ラクロワ教会が訪れる一つである。
このメニルモンタンの大教会脇にメニルモンタン通りがあり、ここに大壁画がある。ついでだから、見て帰る。写真をパチリ。何枚撮ったことか。
無くなっておらず、ほっとする。
パリのマイブームはこのところずーっと20区である。
このパリ20区は北からベルヴィル村、メニルモンタン村、シャロンヌ村と存在する。フランス革命後の入市税関時代まではパリの外である。
最近は特にシャロンヌがマイブームであるのだが、今日は、メニルモンタンへ。
昼にアパートへ戻ろうと、14区のアレジアの教会の辺りから歩いていると、タクシーのマニフェスタシオン。いわゆるデモだ。
午後は13区のサント・マリー・ドゥ・ラ・メゾン・ブランシュ教会へ出かけるものの、雨が降り出して、散策はジ・エンド。
20区で仕入れた、1kg55サンチーム(現在はユーロ高で90円相当)のパスタをゆでて夕食とする。これで、当分パスタを食うことになる。
安かろうと、自分の料理では、味の違いなどわからない。
が、パリのレストランよりは”まし”だと自負する。
もっとも、パリの場合、自慢にならない。
パリのパスタは、ほとんどの場合、アルデンテとは名ばかりのぷよぷよのうどんであるからだ。
2007.09.26
フランス語でリュグビー

ラグビーのワールドカップがフランスで開催されている。
部屋で観戦しようとテレビをつけるのだが、どうも、衛星だかケーブルだかでしか放送していないようで、映らない。
街中のカフェの多くは、液晶テレビを用意して、ワールドカップのテレビを流してくれる。全てのマッチを見れます!と描かれているレストランもある。
最初は仕方なく、ヤフーフランスのネットでリアルタイムの文字放送を見る。
日本が前半を終えて5-0でリード。
フランスにしてみれば、日本がリードしているのはびっくりなのだろう。なんと、日本がリードみたいな書き方をされ、こりゃ、どこかのカフェへ繰り出さねば・・・と、近くのカフェに出かける。
後半が始まる。
ビールを頼んで、しばし、観戦。
テレビはやっているものの、グループ最下位争いのカナダ-日本戦だから、テレビの方を見ている人は少ない。
カナダが同点に追いつく。
奥の方で、食事をしながら見ている、独断推定フランス人が、大きな声を上げながら手をたたく。
カナダだけに、フランス人にとっては近い国だからなぁ・・・。
さらにカナダのゴール。
12-5でリードされる。
前出フランス人たちが手をたたいて喜ぶ。
終了間際のチャンスも日本が逃して、もうだめか・・・・と思いきや、ここから、大和魂改め、土壇場根性が発揮され日本が同点に追いつく。
サッカーもそうだが、土壇場になると日本人の一気の攻勢が見られるのは、もう日本人の特性というほか無い。
そして、感動のトライ、同点のキック。
前出フランス人の向かいに座っているフランス人が手を上げて喜ぶ。
どうやら、賭けでもしているのだろう。
がっくりうなだれるカナダの選手に喜ぶ日本の選手が映し出される。
カウンターのお客さんは、試合を見てなかったのだろう。
”日本が勝ったの?”カフェのギャルソンに聞く。
”12-12引分けでしょ”とギャルソン。
パリのはずれのカフェの片隅に、この試合を観戦している日本人がいることを、少々ながら、周りのフランス人も気にはしたようだ。
”あいつ日本人かな”と心の中で思っていたようだ。
ちらちらと見られていた。
引分けという中途半端ではあるものの、粘り強いラグビーが見られて、ちょっとほっとしてカフェを抜けて家路につく。
ミネルヴ村の近く、AZILLANET村で寄ったワイナリーのお兄ちゃんが言っていた。
ワールドカップに日本が参加していることが大事なんだ。
フィジー戦はすばらしい試合だった。
これはお祭りなんだから・・・。
フランスは強い。
日本を慰めてくれたのだろう。
しかし、あのお兄ちゃんも、日本が今日、カナダ相手に引き分けられるとは思わなかったに違いない。
写真はパリ、リヴォリ通り。ワールドカップの旗が並ぶ。
2007.09.25
カルカッソンヌ

地方からパリへ帰ってきた。
本日は友人を空港に送り、現地の友人とお茶をし、雨が降って、ますます寒いパリを久々に体感した。
南は暖かい。空が高い。
カルカッソンヌは一大観光地である。
ここの城壁は、オード河にかかる2つの橋からもっとも美しく、もっともわかりやすく、もっともありきたりに写真撮影することが出来る。
何億枚も撮られた風景だろう。
本来なら、この風景は絵葉書の方が良いのかもしれない。
自分だけのカルカッソンヌ城壁写真カットが見つかれば、それが宝物だ。
古いポンヴューと新しいポンヌフの二つの橋からのながめ。
絵的には、ポンヌフからの写真の方が、ポンヴューという古い橋を入れて撮影できるので良いだろう。
夜間もライトアップが綺麗だ。
三脚必携!
デジカメは一眼レフでなくても露出がマニュアルでいじれるものがいい。でなければ、ほぼ、撮影者の期待に応えてくれない。
橋の上で足はくじくし、転ぶし、普段の運動不足がたたって、惨めな旅ではあったが、無事パリ帰還。
2007.09.20
パリ、石畳
2007.09.19
navigo挑戦

今月からナヴィゴ旅行者用が始まったとのことで、購入にチャレンジしてみた。駅で買えるとのことであった。
最初は、インフォメーションで聞くと、一瞬、何それ?って顔をされるものの、なんとか通じて、”ああ、それなら駅にあるインフォメーションへ行きなさい”とのこと。
メトロ駅へ行く。インフォメーションで聞くと、またもや、?????
。”ナヴィゴは登録するやつだよ”と。
いや、旅行者用のやつも出たって聞いたんだけど・・・、と言うと、”ああ、ああ、はいはい、どこで買えるんだっけ?モンパルナスかな?オペラ?電話聞いてあげる”と、親切にも電話で問い合わせしてくれた。
2箇所ほど確認電話をしたところ、”隣の切符売り場で出来るよ!”とのこと。
さて、切符売り場に並ぶ。
順番が回ってくる。
駅のおばちゃんにナヴィゴの話をする。
すると、えらい剣幕で、こういう登録用紙を書いてどこそこへ送りなさいとかなんとか・・・。
で、結果、買えない。
買えなかった。
今回の旅もカルトオランジュとモビリスのお世話になることが決まりました。
写真は、ナヴィゴおよび切符の自動販売機。
この自動販売機でしか切符の買えない駅も増えてきた。
2007.09.18
古いパリ、これもパリ

コンコルド広場には、移動観覧車が設置されている。
いつもあるわけではない。
いつまでもあるわけでもない。
シャンゼリーゼを上空から眺められる。
夜景を楽しみたいかたは、これがいいのかもしれない。
結構スピードは速い。
2区のサンドニ通り界隈は、パリの最も古いゾーンの一つだ。
よって、結構昔から存在する通りが多く、いろんな歴史、変遷をたどっている。
ここは、娼婦のゾーンでもある。もちろん、今でもだ。
歴史あるゾーンの写真を撮りたくとも、そうはいかない事もある。
街行く男たちに声をかける。
ちっちっちっ・・・。ノー。
少し離れたところから声がかかる。
娼婦たちの取りまとめ役?っぽいおばさんから注意を受ける。
写真を撮るな!!との意味だ。
彼女たちも、リスクを負って生活しているのだ。
2007.09.16
巨像、「彫刻、何するものぞ
2007.09.13
市立近代美術館

しばらく閉館されていたが、最近再オープンした。
大きく変化はしていない。
ここでの一番の見ものは、ラウル・デュフィの電気の妖精だろう。
無料で見られる美術館で、その上、結構いかした作品が並んでいる近代美術館だから、ポンピドゥーセンターよりもこちらの方がおすすめである。
デュフィといえば、ルアーブルにあるアンドレマルロー美術館にたくさんの作品があるが、さすがにここのように巨大作品があるわけではない。
オランジュリーのモネの睡蓮も大作だが、ここの電気の妖精もほんとに大作だ。
透明感のある、ブルーが特徴的なデュフィだが、オレンジ、ピンク、グリーン、バープルとどの色も彼らしい色合いと透明感を持っている。
ほか、マチスの巨大な作品や、レジェといったキュビズム大家の作品も見られるので、それ系が好きな人には堪えられない美術館だろう。
2007.09.12
海洋博物館

シャイヨー宮の翼の部分にある博物館。
船の模型博物館ともいえる。
もちろん、遺物もあるわけだけれども、船は当然ながら模型である。
ここの博物館の一番最奥には、工房がガラス張りになっていて、模型などを作っている場面を見ることができる。
この手の模型好きプラモデル好きには、そこが一番楽しい場所、興味ある場所かもしれない。
日本では、江戸時代は、大型の船を作ることはご禁制であったから、大鑑は建造されていない。長崎にはオランダの大鑑も来ていたのだろう。多くの人は、黒船まで知らなかったのかもしれない。
海洋王国といえば、イギリス、スペイン、オランダ、ポルトガルなのだろうが、どうしてどうして、フランスでも結構作っていたんだなと思わせる。
マリーアントワネットが乗った小船の舳先の部分、人魚像がついているものなんかも飾られていた。
歴史にも、模型にも興味のない人には、全て見てまわってくるのは苦痛を伴うかもしれないが、チラ見のつもりで、中に入ってみると、模型の精工さと古い時代から、最近の軍艦まで巨大模型が見られるから、へぇ~ってことにはなるだろう。
2007.09.11
中世美術館

クリュニー美術館であった。フランス中世の彫刻やら、調度品がずらりとならぶ。
歴史や昔のものに興味がなければ、素通りされる美術館である。
ここは、ギメ美術館、アラブ世界研究所と同じく、比較文化としてみるのが面白い。
カルトミュゼを持っているのなら、カルチェラタン散策のついでに、ぶらりと寄っておくのがいい。クリュニー駅前にある公共浴場跡がいかにも古めかしい感じを与え、この界隈の顔になっている。
何?これ。なんかの遺跡?
そうなのです。ここは、フィリップ・オーギュストの城壁の内側に存在するノートルダムを中心とする、パリで最も古いゾーンなのです。
ルーヴルの城砦時代の古い遺構、パリの城壁跡同様、町のど真ん中に、こんなものがあるところが、ああ、パリは古い街なんだと思わせてくれるところなのである。
2007.09.10
ピカソ美術館
2007.09.09
ギュスターヴ・モロー美術館

この美術館は、いわゆるモローのアトリエである。
モローという人は、神話の世界の絵をたくさん描いているわけだが、彼が初代の校長を勤めたパリの美術学校からは、マティスやルオーなど、新しい時代を切り開いた人がたくさん出ている。
中でも、ルオーは、この美術館の館長さんであったということだ。
ここに、二人とも居たんだなと思いながら、ここに訪れ、ともすれば、目を奪われがちな絵の数々から、ちょっと目をそらして、外を眺めてみるのもいい。
もちろん、外に見えるのは、パリの何の変哲もない建物などである。
ここの美術館のなんといっても特徴は、螺旋階段である。
階段のあるこの風景が、既にモローの世界へ誘ってくれているようで、なんともいえない。
訪れたことのある人なら、この螺旋階段に目を向けなかった人などいないだろう。
もっとも、ここを上らなければ、一番上の階へはいけないが。
2007.09.08
ギメ美術館

フランスに来て、わざわざ東洋の美術を見る。
なにも、そんなこと・・・という人もいるだろう。
が、パリだからこそ、この美術館があると考えられる。
インド、東南アジアのものから、中韓日までならんでいる。
下から順番に見ていけば、日本が最後ということになる。
パリには、中世美術館、アラブ世界研究所、など、世界をまたに書けることができる美術があふれている。
以前、ブログにも書いたことではあるが、これらの比較文化をできるのは、パリだからこそといえる。
西洋のシンメトリー、アラブの幾何学、アジアの曲線、そして、日本のアンチシンメトリーの侘び寂び。
フランスの人たちが、どんな風に、何に興味を持っているのか?見て取ることもできるし、中韓日がやっぱり近い国であると、感じることもできる。
フランス人は、やっぱり刀のつばには興味があるようだ。
そのコレクションもある。
日本の仏像をパリで見て、ちょっとほっとした気持ちになり、これ、わっかるっかなぁ?と思うのもおつである。
2007.09.07
ガリエtラ美術館
2007.09.06
アラブ世界研究所
2007.09.05
パリ市庁舎

4区にあるパリ市役所。
ここをまっすぐ南下して、シテ島に行けばノートルダム寺院の前へ出る。橋を渡ればすぐなのだ。
北上すれば、ポンピドゥーセンターに行くことができる。
これもすぐだ。
ここの市役所前広場は、多くのイベントに使われる。
冬はスケートリンク、夏はガーデニングなど、その他多くのイベントが開催される。
フランスワールドカップの時は、ここに大きな画面が据えられ、パブリックビューイングとなって、毎試合、多くの観客が、母国へ声援を送った。
日本vsクロアチアの試合も、ここでやっていたので観戦したのを覚えている。赤と白の市松模様のようなクロアチアのユニフォームを着たクロアチア人と青のユニフォームを着た日本人。
Hotelと書いて、オテル。Hはフランスだけでなく南ヨーロッパの国々では発音しない。
Hotelはホテルの意味もあるが、館、邸の意味でも頻繁に使われる。古い貴族の館などは全てこれが使われる。
2007.09.04
ラパンアジル

モンマルトルのブドウ畑の向かいにある可愛らしい建物。
太陽のサンサンと当たる南斜面を表モンマルトルとすれば、この界隈は裏モンマルトルである。
頂上のサクレクール寺院を境に南側は、フニクラやオベッスの可愛らしいお店群、多くの観光客がいるゾーンである。
裏は観光客数が激減する。といっても、表の観光客数が以上なので、いないといってもいないわけではないが、裏の方が情緒あふれるのはその人の数の違いだろう。
ユトリロは、表も裏もたくさん絵を描いているから、裏に回っても描いた風景にたくさん出会える。
その中の横綱?はコタン小路であろう。
また大関に当たるのがサンリュスティック通りかもしれない。
ほとんどその風景は変化していない。
ラパンアジルもまた、彼の題材であり、彼の通った場所である。
そして、この写真の位置に立ってこの扉の絵を眺めているあなたの真後ろにユトリロが眠っている。
振り返って見える墓地の壁、まさに何十センチかの壁の向こうに彼が眠っている墓地があるというのではない、彼が眠っているお墓があるのである。墓地の中のその場所がそうなのである。
2007.09.03
ムーランルージュ

ムーランは風車の意味。
ルージュは赤の意味。
赤い風車である。
有名なキャバレーであるとともに、この風車がこの界隈、モンマルトルの西のはずれ、メトロのブランシュ界隈の顔、ランドマークなのである。
夕方、青黒くなっていく空に、赤く電気のムーランルージュが妖しく、そして悲しく光る。
ここを越えて西側へ行けば、もう、モンマルトルというより、クリシー界隈というべきゾーンである。
風車といえば、オランダのような感じを受ける人も多いだろう。
しかし、フランスにも古い風車が幾つも残る。
モンマルトルの丘には風車が二つ残る。
一つは、ルノワールの絵で有名なムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットである。
モンパルナスにも風車の後がある。
そして、パリで最も美しい風車はロンシャン競馬場にある。
1コーナーの奥、ポルトマイヨーからバスに乗っていくと風車の裏側くらいが、バス停である。
ここに昔、僧院(アベイ)があり、そこでの仕事、小麦などを挽いたのだろう、その風車が今も残る。
この競馬場で行われる9月前半のレースにムーラン・ドゥ・ロンシャンと言うレース名が今も残り、10月の第一週の凱旋門賞当日に行われるレースに、アベイ・ドゥ・ロンシャンというロンシャン僧院の名前を冠したレースも残っている。ともに、レースとしても一流のものだ。
赤い、夜になると電気のつく風車。キャバレーの風車が、しかしもっともパリで有名な風車であることには違いない。
そして、その物悲しい街と風車の雰囲気がノスタルジックを感じさせるのも、この風車がパリ一番であるだろう。
2007.09.02
モンパルナスタワー

パリ一ののっぽビルである。
高層ビルはパリに他にもあるが、ここでは、このビルだけが突出しているので、目立つ。モンパルナスのランドマークである。
このビルのおかげで、自分の今いる位置関係をつかむこともできる、エッフェル塔と同じく土地感覚をつかむのには大変重要なモニュメントである。
サクレクールから、ベルヴィル公園からなど、パリの街を望めば、このビルだけは、はっきりと認識することができる。
サンジェルマンデプレ界隈から、レンヌ通りを除けば、この多くのお店が並ぶショッピング通りの向こうをふさぐかのようにこのビルが建っている。それが、サンジェルマンからの風景の一つと化している。
もはや、パリの顔の一部である。
最上階に上れば、360度のパノラマを楽しむこともできる。
2007.09.01
ベルシー総合体育館
| HOME |