2007.08.31
フォーロム・デ・アール

旧中央市場。現ショッピングセンター。
地下にはRERのシャトレ・レ・アールがある、乗換の名所であり、迷所である。
フォーロム・デ・アールのショッピングセンターも迷子になりそうな建物である。そもそも、どこにいても、似たような風景なのだ。ガラス張りでいて、チューブの中にでもいるような感覚。箱の枠のようになっていて4辺ある。
地下だが、中央部分がへこんでいるので、太陽の光も入ってくる。
ここは、場所を分かりやすくするため、それぞれの4辺を色分けしている。この色と案内板と頭の中にある地図をうまく組み合わせると、出たい出口から出られる。行きたい店へ迷わずいける。となる。
現在は、仕事のない若者達が、ここへ集まってきて、少々危険な雰囲気が漂うゾーンでもあるのだが、昼間、危険なわけではない。老舗のカフェから、カード屋まで、観光客むけの店、デザイナーがデザインしたカフェ、少し行けば、ポンピドゥーセンターもあるので、パリへ行った人なら一度はお世話になるゾーンである。
実は、ここのすぐ北側、1区~2区にかけては、かつて、Cours de Miracles(スラム街)であったのだ。パリでもっとも最後までスラムであった場所である。
今はもちろんない。そうであるからこそ、そして、歴史のある場所であるからこそ、いろんないわれも残っている。
そういう関係からかどうか?この界隈を走るサンドニ通りなども、新宿歌舞伎町のごとくsexショップがならび、豊胸手術したんじゃないの?ってなお姉さん達がずらり並んでいる。ほとんど移民の人たちだろう。ここでなければ、ポルト・ドーフィーヌ(16区)でしか見かけないような絵だ。
郊外から来る鉄道が集まり、パリで最も人の乗降の多い駅の一つであり、昔はスラムであった場所にも近い。これが、何の因果であろうか?とも思われる。
しかしながら、シャンゼリーゼよりもよっぽど、ここがフランス、パリ、イルドフランスの縮図であるといってもいい。
スポンサーサイト
2007.08.30
パンテオン

ここは、5区の丘の上。
有名人の棺がたくさん地下にある。
入り口付近は、座って休憩するひとであふれているときもある。
中に入ると、中央部分の振り子時計と猫の置物が出迎えてくれる。
奥から、地価に入ると、ガンベッタ将軍の心臓を入れた壷が出迎えてくれる。中が見えるわけではない。
さらに地下室へ入っていくと、おどろおどろしい雰囲気ではあるが、有名人達の棺が並んでいる。
昔とちがい、それぞれの場所にパネルで、その棺の人たちを説明してくれているから、ちょっと暗い博物館といったイメージにはなった。
ユゴーやゾラ、そして、なんとも印象的なのは、キュリー夫妻。
部屋が幾つもあるのだが、その部屋の壁に張り付くように、左右に棺が安置されている。キュリー夫妻だけは、同じ側に上下に並んでいる。
上が奥さんで、下は旦那さんだ。
その並び方にちょっとほっとする雰囲気を感じるのは私だけであろうか?
2007.08.29
パレロワイヤル
2007.08.28
シャイヨー宮
2007.08.27
サンマルタン門

サンドニ門とセバストポール大通りを挟んで線対称の位置にあるサンマルタン門。サンマルタン門というだけあって、サンマルタン通りにあるわけだ。
門からサンマルタン通りはまっすぐ南下すると、ポンピドゥーセンター前の広場に出てくる。
反対通りを北上すると東駅だ。
東駅とポンピドゥーセンターはまっすぐつながっているというということだ。
サンドニ門に比べ、サンマルタン門は地味な感じだ。ミミズが張っているかのようなデザインの石が積み上げられている。パリにある門の中でも最も自己主張のない門である。
この門の辺りから、レピュブリック広場へ向かって、グランブールヴァールが上り坂になっているのもこの門の存在感をけしているようだ。
そんなとりえのない門だけに、愛らしいといえる。
2007.08.26
サン・ドニ門

ここは、、元城壁のあった、グランブールヴァール。
ここにあるサンドニ門と隣のサンマルタン門は城壁の名残であるのかしら?と思いきや違うらしい。
城壁が取っ払われた後にできたのだ。
こんなところに、門が?と思われるところに出現する。
この下を通過するサンドニ通りはこの門を境にフォーブールという単語が付く。
このフォーブールという名前の付く通りは多い。
フォーブール・サントノレ
フォーブール・デュ・トンプル
フォーブール・モンマルトル・・・。
地図を見たら分かるのだが、これらは全て同名の通りの続きである。
サントノレ通りの続き
トンプル通りの続き
モンマルトル通りの続き・・・。
パリが城壁で囲まれていた時分、この城壁の外側にあるとおりはフォーブールの冠名が付いたのである。
Faubourg・・・場末
写真はサンドニ門であるが、ここは大通りなのにもかかわらず、信号以外を渡る人の数が多い。
結構信号があってわたる事ができるのだが、おそらくこの風景が、信号をまでいちいち行って渡ることを人間に要求しない。
つい渡ってしまいたくなるような雰囲気なのだ。
フランスでは、こういう、渡ってしまう歩行者の数は、相当数に上るから、車を運転している人も、渡ってくる人たちがいるものであると考えて運転している。
歩行者の信号無視は街中常習である。
日本だったら、ひき殺されてしまう。渡ってくると日本のドライバーは考えていないし、そういう土壌だからでもある。
信号無視は交通違反です。もちろん。
ただ、フランスの信号無視時同様に一番大切なのは、信号を守ることではなく、事故にあわないことです。過信は禁物。
赤では渡らない、青でもひかれない。理想ですな。
赤でも青でも渡らなくて良い横断歩道。それが理想ですな。
2007.08.25
コンシェルジュリー

マリーアントワネット関連の場所というのは当然多いパリである。
18区にはアントワネット通りというのもある。
ここ、コンシェルジュリーも彼女が捕えられていた場所である。
特にこの建物は特徴的な屋根だ。
いかにもヨーロッパらしい、とんがり屋根である。
パリといえども、とんがり屋根はたくさんあるわけではない。
ここは、セーヌ沿いだけに、それなりに絵になる場所である。
この建物がある通りをQuai de l'Horlogeという。
大時計河岸通りである。
道の中で川沿いや運河沿いの道をQuaiという。(ケ)と発音する。
この単語、実は旅行で重要な単語だ。
駅のプラットフォームを意味する単語である。
もう一つ、rueという道という単語があるが、道というのには単語がたくさんあり、cheminというのも道だ。
chemin de ferといえば、鉄道のことである。
道という単語の中にVoieというのがある。(ヴォワ)と発音する。
普通の道のこともこの単語を使うが、線路そのものという単語でもある。
なので、これも駅で使われる。何番線の番線の意味だ。
さて、解説。
ホームはホームなので線路ではない。ホームによっては両側に線路がある。もちろん一つしか線路がないこともある。
よって、ケにはヴォワが一つある場合とヴォワが二つある場合があるのである。
こんな風に、くどくどと考えていると、駅でもこの単語が気になり、この二つの単語を覚えるということです。
さて、もどって、Quai de l'Horlogeというコンシェルジュリーのある通り。
セーヌ河が駅でいう線路の位置だとすれば、この通りがホームに当たる位置にあるわけです。だから、どちらもQuaiなのである。
2007.08.24
カルーゼル凱旋門

最近はほんとに日々フランス単語との格闘、辞書との格闘である。
なんせ、5単語に1単語は分からない。
日本語なら5分と掛からず読めるであろう部分を数日間に渡り、何時間もかけて読む。
留学していたとき、あまりの単語の分からなさに、午前学校、午後単語調べで一日が終わることが多々あった。
単語を調べれば終わりというわけではない。意味を取れなければならないのだ。が、そんなことまで考えていたら、気が狂う。
よって、分からない単語に丸をつけ、ただただ辞書をひいておく。
翌日の授業に何とかついていくために。
ついていけなかったが・・・。
ある日、分からない単語が幾つあるのか数えてみた。
教科書1ページに100!!!。
そういえば、大学入試の英語のテストも、あまりの分からなさに、分からない単語数えていたっけ。長文問題に80個ほど分からない単語があったが、2浪して全て落ちた最後の大学だけは通過した。
授業は一日で数ページから5ページほどは進むし、授業で全てやるというわけでもない。挙句の果てにはクラスでひとり、休み時間居残りだ。
無茶ながら、その努力が、今になって、”なんか、聞いたことある”程度の記憶の”しわ”として頭に残っている。
当然、ただ引いているだけだから、記憶に残りづらく、数時間前に引いた単語をまた調べているなんてことはざらだ。
英語も全くできないから、英単語から類推するなんてことは無理。
ぼちぼち、ただ続けることにも意味があるとおもってやるしかない。
そんなんでも留学できるわけですよ。
開き直っちゃうと、強い。わかんねぇんだよ!!!となった方が強い。
だって、わかんないんだから。
中学高校と全く勉強せず、時刻表なんかを机から引っ張り出して、妄想の世界に入っていたから、4桁の数字だけは覚える能力がついたらしい。おかげで、漢字は書けないし、アルファベットのような記号は覚えられないが、年号は覚えやすい頭の構造であるようだ。ただし、平安時代以降でないと、4桁にはならない。
さて、写真、カルーゼル凱旋門。
パリにある4つの門のうちのひとつ。といわれるが、門という形をしたオブジェですな。4つとも全て。
ここは、もちろんくぐれるわけだが、一番人間サイズというべき、可愛らしい愛らしい門だ。
凱旋門!という単語イメージから連想される大きさではないから、なんとも思わずにチュイルリー公園からルーブル美術館へと抜けてしまう人も多いだろう。
2007.08.23
エッフェル塔

エッフェル塔といえば、16区のシャイヨー宮からの眺めがもっとも写真の撮られる絵図らである。
ここに、その写真を観光客にとってもらうためだけに、短い時間停車する観光バスもあるということだ。
記念写真タイムである。
ここから撮られた写真は何億枚に達することだろう。
そのシャイヨー宮からパレ・ド・トーキョー方向に坂を下っていくと、この写真の場面に遭遇する。たいした事はない。
いまや、パリといえばイメージされる建物ナンバーワンの建造物エッフェル塔。その大きさゆえ、インパクトもでかい。
東京タワーより小さいのだが、、周りに高い建物が少ないパリだから、ひときわ目立つ。
パリのいたるところから顔をのぞかせるエッフェル塔。
自分だけのエッフェル塔の写真、
あっ!ここからも見える!
そんな自分だけのエッフェル塔写真を、そういうアングルを旅行中に見つけて欲しい被写体である。
2007.08.22
エコールミリテール

7区というところは軍事に関係のある建物、政治に関係のある建物が多い。
エコールミリテール(陸軍士官学校)の前に前庭のようにあるシャン・ド・マルス公園は閲兵式のためのものである。だから、ここにあるわけである。
そして、エコールミリテールから少し行けばアンヴァリッド。軍神ナポレオンの眠るところだ。
エコールミリテール自体が観光地なわけではない。
パリは、他のまちでもそうだが、街歩きにモニュメントの存在は欠かせない。大きな建物は目印になるだけではなく、写真の対象にもなる。
メトロやバスばかりに頼った観光や生活ばかりしていると、いつまで経っても土地勘がつかない。自分達の家やホテルの周りだけになってしまう。日本でも同じだろう。
歩いてみるのがいい、最初は地図片手に右に回してみたり左に回してみたりしても、そのうち、自分の目に焼きついたモニュメントが、自分の位置を知らせてくれるようになる。そうなればしめたものだ。
街を自分のものにできる。
2007.08.21
アンヴァリッド

最近ようやくけんしょう炎が治りかけてきた。
使わないことが治す道とのことで、なるだけ使わないようにしてきたが、痛くないように使わないというのは普通に生活しているとまず無理だ。痛くなってはじめて、こんなに手を使っているということが分かる。痛くない人に分からせることはほぼ不可能だろう。
写真はアンバリッド。軍事博物館の向かいぐらいにこの日時計のようなものが二つ並んでいる。建物の上部だ。
軍事博物館に行くには、2つの事をチェックしておいた方がいい。
それは、日本の鉄砲伝来の年1543年、そして、織田信長の長篠の合戦の年1575年だ。16世紀の前半と後半だ。
漠然と見ていてもつまらない。この二つの年に火縄銃が伝来して、そして長篠で鉄砲3段撃ちをしたという日本の歴史の時点で、フランスにどんなものがあったのか考えてみてみると、少々へぇー!ということになる。
どうやら、このような写真を撮ったりするのに、ハイ右!ハイ左!!ハイ上!ハイ下!!と移動しているうちに腰を痛め、かばって手を使ったために手と背中を痛めてしまったようだ。
人には程というものがある。どうやら自分は、程というものが分からない人間らしい。若さは永遠に続かない。若いうちは分からないのだ。
いい大人になって程に気がついたところで、既に体にがたが来ている。
上手に付き合うしかない。パリはとにかく体に負担をかけずにゆっくりまわる街だということだ。
2007.08.11
フランソワ・ミッテラン国立図書館

たいてい、時の権力者というのは建造好きである。
国立図書館を新しくして、ここへ黄金の4本の塔からなる巨大建造物を造ったのは、ミッテラン大統領である。中央のぽっかり開いた穴には(といっても広い)緑が植えられている。
当時のパリ市長、シラクさんは、これに対抗して、向かい側にベルシーの体育館を造った。
ミッテラン大統領は、ルーヴルのピラミッドを造り、ナポレオンのエトワール凱旋門からルーヴル前のカルーゼル凱旋門と丁度線対称の位置、ラ・デファンスを開発し、そこへ凱旋門を建てた。
そして、各国から首脳を招き、お披露目会(アルシュ・サミット)までやっている。たしか、ラ・ヴィレットもそうだ。区画整理されただけの不毛の土地に、寂しくジェオードの球形が存在していた。
新国立図書館の地域や、ベルシー地区はパリのちょっとした不毛の地域ではあったから、これで再開発の波が押し寄せている。
ベルシーヴィラージュにしても、はやっている!はやっている!!からといって、どこか日本の新しきビルのように、満員電車のようになるわけではない。が、今後、何ができていくのか要注意なゾーンではある。
2007.08.10
自由の女神

グルネル橋のたもとに自由の女神が立っている。
東京のお台場に来た自由の女神像である。
東京に行っている間は、ここには大きな工事中のような箱だけが置かれ、東京に行っている旨が書かれていた。
自由の女神像は橋の下、白鳥の小路というセーヌに浮かぶ細長い中ノ島に立っている。この島自体が遊歩道になっている。
写真はここから突先から眺めたセーヌである。
雨が少ないから大丈夫なのか?こちらの河は水を目一杯たたえている。日本であれば間違いなく警戒水位である。
ここは実はエッフェル塔を眺める撮影ポイントでもある。シャイヨー宮ほどの圧倒される圧迫感とともに撮影できる場所というわけではないが、グルネル橋の一つ上流の橋はRERの橋なので、タイミングが合えば、セーヌを渡る列車とエッフェル塔というこれぞ撮影ポイントというような絵が撮れる。
ニューヨークの自由の女神はギュスターヴ・エッフェル作。
ここの自由の女神からエッフェル塔が見える。エッフェル尽くしである。
2007.08.09
サンマルタン運河

サンマルタン運河はバスティーユの南、セーヌ川から19区のラヴィレットへとパリ市内を抜けていく。ヨーロッパ中をつながる運河、河川の一部である。
パリ一番の散歩道でもある。水辺は優しい風景を提供してくれる。
この運河を多くの船が通過していく。個人の船、遊覧船・・・。
運河の上を道も通過しているが、このいくつかある橋は、船の通過のたびに道が移動して水路を開ける。遊歩道は船の邪魔にならないように弧を描いている。当然ながら、船用の信号も存在する。
また、この運河は北側と南側で高さがだいぶ違う。結構セーヌからラ・ヴィレットまで登るのだ。そのため、水門を設けて上下の高低差を埋める。要するに水門を二つ儲け、水門の間にプールのような部分を設け、低い方から船が来れば水をためて高い部分と水位をあわせ、逆の船なら低い方にあわせる方式だ。揚子江やパナマ運河でもこれと同じ方式だ。
散歩中に船と出会えば、これらの水門の通過や、道路が折れ曲がって船を通すところを見ることができる。
2007.08.08
ラ・ヴィレット
2007.08.07
モンソー公園
2007.08.06
モンスーリ公園
2007.08.05
ベルシー公園
2007.08.04
ベルヴィル公園

パリで最も眺めの良い公園。こういうタイトルをつけてもいいかもしれない。最上部にあるメゾン・ドゥ・レール空気、大気の博物館のさらに上部に登ると、パリが見渡せる。
正面にあの特殊ないびつな形のポンピドゥーセンターが見え、エッフェル塔もパンテオンもモンパルナスタワーもノートルダム寺院も見渡せる。
写真を撮るなら、順光になる午前中のほうがいいだろう。夕方になると逆行になる。見るだけなら夕焼けのパリもいい。
ベルヴィルの坂をずるずると上り、ピア通りに来たら右に折れる。ピア通りをまたずるずると上っていくと、右手にパリのパノラマが広がる。
観光エリアではないから、他の観光客と共有しなければならない、パリの俯瞰図ではなく、ひとり占め?できる。
京都の東山から街を眺めるように、パリを東の丘から眺めることができる。公園上部からパリを眺める位置に立つと、左手にノートルダム・ドゥ・ラクロワ教会の姿を拝むこともできる。
2007.08.03
バティニョール公園

17区は線路によって大きく南北に分けられる。線路の北側のほうがより庶民的ゾーンであり、南側は、16区やヌイイからつづくお屋敷ゾーンである。この線路の脇、庶民側にある公園がバティニョール公園だ。
ラッシュ時は、ひっきりなしに行き交うサンラザール発着の電車を見ることができる。
公園といっても、parcパルク(公園:英語のpark)や、jardinジャルダン(庭園:英語のgarden)などもあるが、あまり規模の大きくないものに、squareスカールというのもある。おそらく英語のスクエアに相当すると思われる。
ここ、バティニョールはそのスカールに属する。
朝、ランニングをしている人がいるのはもちろんだが、公園併設のペタンク場でペタンクに興ずる人たちを見ることもできる。
2007.08.02
シャン・ド・マルス公園
2007.08.01
チュイルリー公園

パリのど真ん中にある公園。ルーヴル美術館とコンコルド広場の間に横たわっている。公園内には、ジュドゥポーム国立ギャラリーとモネノ睡蓮でお馴染みのオランジュリー美術館があり、パリでもっとも人口密度の高い公園である。
正確には、この公園とルーヴル美術館の間は、カルーゼル公園といい、ここにいわゆる凱旋門の対象に位置する人間サイズのカルーゼル凱旋門がある。
そもそもはチュイルリー宮の庭園であったわけだが、噴水2つとカフェのある公園となっている。ル・ノートル設計。
チュイルリー宮とは、要するにルーヴルだと考えていい。現存するルーヴルヴ美術館のもっともチュイルリー公園側も建物があって、現在、翼を広げたようになっている部分が閉じられていたわけである。ルーヴルの最西端を南北につなぐように建てられていたのである。消失して現在はない。
写真のように、コンコルド広場のオベリスク、シャンゼリーゼの向こうに見える凱旋門まで見渡せる。
| HOME |