2016.01.08
オルセー美術館 オルセー駅
2015.08.31
オルセー美術館のガラス大時計
2014.03.20
ジュ・ド・ポーム国立美術館
2013.11.14
ニッシム・ド・カモンド美術館
8区にあるモンソー公園に散歩に行く。
ここはパリの大きな公園のなかでは、もっとも人口密度が高いんじゃないか?と思わせるほど、憩う人たちであふれている。
チュイルリー公園は観光客であふれるが、こちらは地元の人といった趣。

そんな公園裏に建つ貴族の邸宅が、ニッシム・ド・カモンド美術館。
たいした知識もガイドも持たず、やって来たため、詳しい内容は分からないけれど、散歩の延長だから、頑張って完勝せずともよかろうと、ぶらぶら回遊。

上は、青のサロン。
磁器も薄青の物が多く、柱は緑が勝ったブルー。
気に入った色は絨毯の青だ。
時間が経ってこの色なのだろうけれど、真新しいときは、青がもっと輝いていたに違いない。
今も、品のある青い輝き。

中へ入ると、クロークを通り、さて、階段を上ったものか?それとも、地上階を回るべきか?
そんな事を考えていたのだが、上を回ってから、キッチンへ行った方が良いわよ!と声をかけられた。
どうやら、このキッチンは見学場所としては、随分人気のようだ。
回ってゆく人が、ここにとどまる時間が最も長く、みなさん、写真を撮ってゆく。
銅製の鍋類は管理が大変なんだろうけれど、仕事で使うなら、また別なのかも知れぬ。
きっと、いい料理ができるに違いない。

まるで、フェルメールの絵のような市松模様の廊下をぬけ、再びモンソー公園へ散歩は続く。
ここはパリの大きな公園のなかでは、もっとも人口密度が高いんじゃないか?と思わせるほど、憩う人たちであふれている。
チュイルリー公園は観光客であふれるが、こちらは地元の人といった趣。

そんな公園裏に建つ貴族の邸宅が、ニッシム・ド・カモンド美術館。
たいした知識もガイドも持たず、やって来たため、詳しい内容は分からないけれど、散歩の延長だから、頑張って完勝せずともよかろうと、ぶらぶら回遊。

上は、青のサロン。
磁器も薄青の物が多く、柱は緑が勝ったブルー。
気に入った色は絨毯の青だ。
時間が経ってこの色なのだろうけれど、真新しいときは、青がもっと輝いていたに違いない。
今も、品のある青い輝き。

中へ入ると、クロークを通り、さて、階段を上ったものか?それとも、地上階を回るべきか?
そんな事を考えていたのだが、上を回ってから、キッチンへ行った方が良いわよ!と声をかけられた。
どうやら、このキッチンは見学場所としては、随分人気のようだ。
回ってゆく人が、ここにとどまる時間が最も長く、みなさん、写真を撮ってゆく。
銅製の鍋類は管理が大変なんだろうけれど、仕事で使うなら、また別なのかも知れぬ。
きっと、いい料理ができるに違いない。

まるで、フェルメールの絵のような市松模様の廊下をぬけ、再びモンソー公園へ散歩は続く。
2012.09.20
クレマンソー記念館
シャンゼリゼ通りの地下、シャンゼリーゼ・クレマンソーに名を残す往時の名宰相クレマンソーの邸宅が記念館となったものだ。
我々日本人は、欧州における世界大戦に対しては、あまり知らないし、勉強しない。
このメトロ1号線、シャンゼリーゼ・クレマンソー駅(第一次世界大戦仏首相)、フランクリン・ルーズベルト駅(第二次世界大戦アメリカ大統領)、ジョルジュ・サンク駅(第一次世界大戦時英王)、シャルル・ド・ゴール(第一次、第二次世界大戦を戦った将軍、後大統領)と、名前の駅が続くのである。

そんな時代をジャーナリスト、政治家として生きたクレマンソー。
ドイツでは、ビスマルクという宰相がいた時代にドイツ帝国ができ、その対ドイツで頭角を現した仏政治家がクレマンソーである。
多くの画家とも親交があったそうで、マネが描いた、ひげが特徴のクレマンソーの肖像画。
モネの庭で撮られた写真。
モネがモネの家の庭に座っている、佇んでいる写真がある。
一緒に写る二人のひげを比べれば、さすがにモネのひげが圧倒的存在感である。
そりゃ、モネも、自分の家の庭に佇んだでしょうが、こちらにすれば、観光地モネの家にモネ自身がいるという写真に、何か不思議や違和感を感じたりするのである。

きっと当時としては、最新だったのだろうお風呂もありますし、印象的なのは、仕事場の仕事しやすそうな机。
ちょっと羨ましい気も。
格違いの人間と思わず、クレマンソーのおやっさんと思って、眺めると、親近感が沸こうというもの。
浮世絵や、違い棚なんかを見ると、日本、アジアを感じ、クレマンソー親父さんの自慢顔が想像できる。

トロカデロ駅から、パッシー駅へ向かって歩いてゆくと左にフランス国旗のはためく記念館が。
入り口の平なボタンを押して中へ入り、奥の1階へ。
日本語の説明書もらえます。
我々日本人は、欧州における世界大戦に対しては、あまり知らないし、勉強しない。
このメトロ1号線、シャンゼリーゼ・クレマンソー駅(第一次世界大戦仏首相)、フランクリン・ルーズベルト駅(第二次世界大戦アメリカ大統領)、ジョルジュ・サンク駅(第一次世界大戦時英王)、シャルル・ド・ゴール(第一次、第二次世界大戦を戦った将軍、後大統領)と、名前の駅が続くのである。

そんな時代をジャーナリスト、政治家として生きたクレマンソー。
ドイツでは、ビスマルクという宰相がいた時代にドイツ帝国ができ、その対ドイツで頭角を現した仏政治家がクレマンソーである。
多くの画家とも親交があったそうで、マネが描いた、ひげが特徴のクレマンソーの肖像画。
モネの庭で撮られた写真。
モネがモネの家の庭に座っている、佇んでいる写真がある。
一緒に写る二人のひげを比べれば、さすがにモネのひげが圧倒的存在感である。
そりゃ、モネも、自分の家の庭に佇んだでしょうが、こちらにすれば、観光地モネの家にモネ自身がいるという写真に、何か不思議や違和感を感じたりするのである。

きっと当時としては、最新だったのだろうお風呂もありますし、印象的なのは、仕事場の仕事しやすそうな机。
ちょっと羨ましい気も。
格違いの人間と思わず、クレマンソーのおやっさんと思って、眺めると、親近感が沸こうというもの。
浮世絵や、違い棚なんかを見ると、日本、アジアを感じ、クレマンソー親父さんの自慢顔が想像できる。

トロカデロ駅から、パッシー駅へ向かって歩いてゆくと左にフランス国旗のはためく記念館が。
入り口の平なボタンを押して中へ入り、奥の1階へ。
日本語の説明書もらえます。
2008.07.29
プチ・パレ

先週のせたグラン・パレと対を成すプチ・パレ。
こちらは、常設展示があるが、企画展も多い。
こういった美術館は、パリを初めて訪れる人はあまり対象になることがない。
どうしても、巨大有名美術館に時間をとられるから、本当の美術好きでないと、次から次へと美術館に行くことは少ない。
欧州の旅行の場合、お城宮殿、教会、美術館などが、まあ、いってみれば3大目的地になりやすい。
何美術館に何教会に何宮殿。そして買い物、チャンチャン!と言う旅行になってしまうことが多いのだ。
しかも、日本じゃ、美術館などあまり行かないんだよねという人も多い。
だから、ちょっと長めの旅行になると、食傷ぎみになりやすい。
そして、疲れるし、半ば義務のように美術館を回る羽目になる。
そういった人たちにとって、ここは通過できる美術館のひとつだろう(笑)
お城も、教会も、絵画も、宗教や歴史のバックグラウンドがないと、正直しんどいのが実情なのだ。
大好きな人なら、いいが、欧州を訪れる日本人は、そういった古典的なものに多少なりとも興味があるとはいえ、なんとなく写真イメージだけで訪れてしまうと、もてあましてしまうのが実情だ。
だから、単に有名な絵をルーヴルで見るのもいいが、ちょっと、どんな企画展をパリでしているのか調べて、それから、こういった美術館をわざわざ選んで訪れることをお勧めする。
パリに行ったから、ルーヴルに行かねば、エッフェル塔や凱旋門に登らねば損!と言う発想より、本当に楽しい時間をすごさなきゃ損!と言う発送に替えるべきで、それこそヴァカンスなのだ。
ただ、ただ、人についていくのもいいが、調べないで済む分、旅で疲れる。
疲れてお茶ばかりになるのが関の山で、帰りたくなっちゃう人もいるはずだ。
だったら、ほんの少し、自己主張するための調べ物は、した方がいい。
誰かが言う、”旅の半分は計画である”をちょっとでもしてみよう。
調べてもらった人は案外楽しくなく、調べた人だけが楽しいのは、旅ではノーマルである。
旅は趣味の範疇に入るものなのだ。
一番いいのは、それを伝えた相手に連れて行ってもらえることだが、ツアーでも難しい。(笑)
何かを見つけた人が、目的を持って訪れる美術館だろう。
2008.07.22
グラン・パレ

常設展はない。
企画展をいくつかやっている。
企画によって、入り口は違う。
写真のように、展示企画の案内看板が立っている。
ここの企画展は結構、うなるものが多い。
フランスへ行かれるときは、どんな企画点をやっているのかチェックしてから行かれることをお勧めする。
さすが、フランスだと思わせるほど、よく集めた企画展が行われている。
物によっては、大変混むので、早めに行かれることをお勧めする。
シャンゼリーゼクレマンソーの駅のすぐそばだが、なんと言っても、お勧めは、メトロやRERのアンヴァリッド駅から、アレクサンドル3世橋を越えていくことだ。
背後には、アンヴァリッドの黄金の屋根が控え、目の前の橋も黄金に輝いている。
橋の途中からは、川の向こうにエッフェル塔が見える。
そして、橋の向こうには、グランパレの大きな屋根が見える。