2017.10.17

カクテルのキールとは

急坂を登って、教会の前付近へ近づくと、1軒の家の壁にプレートが。
まあ、そこそこの有名人の生家であったり、終の棲家であったりすることは多い。
とはいっても、大抵は知らない人。
だから、写真を撮っておいて、後で、どんな人か調べておく。
そんなつもりで一枚。
アリーズ・サント・レーヌ村
メゾン・ナタルとなっているから生家ですね。
ここご出身の方。
フェリックス・キール。
あれれ?なんだか、カクテルの名前になった人とと、似た名前だなと思っていた。
キールとか、キール・ロワイヤルとかね。
アリーズ・サント・レーヌ村
で、果たして、その人本人の生家であったのである。

アレジアのヴェルサンジェトリクスに会いに来たら、キールのカクテルの考案者の生家に偶然であってしまった。
アリーズ・サント・レーヌ村の出身だったんですね。

教会近くの家であるかrあ、小さい小さい村とはいえ、その村の中心付近であることには違いない。
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2017.10.10

アリーズ・サント・レーヌ村を歩く

いやぁ、うまく撮れました。
スキー場や山道で、どれだけ大変な坂道かを説明したくて写真を撮るのですが、どれもこれも。
平たんに見えちゃうか、登りだか、下りだか、それもわからなくなったり。

そういえば、中央高速を走っていた時、あまりの坂道続きで、運転している自分が、登っているか下っているか、わからなくなったこともあります。
そんなことはありませんか?
アレジア
ここはね、なんででしょうか?
手前と、奥の高低差が丁度いい具合に撮れる場所だったとしか言いようはありません。
技術の問題じゃなくて、運ですね。
この後も、いろいろ坂道撮ってますが、こんなにうまくいった試しは無し。

これ、登ってくるのが大変だってのがわかるでしょう。
途中、休憩しました。

ケルト軍の斥候は、ローマ軍を確実に視野に捉えられますね。

緑に埋もれるように見えている円柱の建物が、歴史博物館だと思われます。
2017.09.12

アレジアの町を望む

歩いて丘を登ってきた。
6月だったが、暑い。

のどが渇く。
駅前のショッピングセンターで買ってきた虎の子の水を、日陰で飲む。
アレジア
見えた、駅付近のレ・ローム・アレジアの街並みを、アリーズ・サント・レーヌの中腹から。
2017.09.05

アレジアのヴェルサンジェトリクス通り

アレジア大通りから、ヴェルサンジェトリクス通りへ入った。
パリも、こんな感じで、アレジア通りとヴェルサンジェトリクス通りが交差している。
アレジア
なだらかに先の方が登っている。
見えている交差点は、右へ行ってはならない。
まっすぐまっすぐ丘へ上ってゆく。
アレジア
この先の丘が目的地。
この辺りに往時存在していた道を、ヴェルサンジェトリクスもシーザーも歩いていたかもしれないのだ。
2017.08.29

アレジアの古戦場へ行く2

線路沿いの道を進むのだが、この道の名前はアレジア大通りである。
グーグルマップなどで確かめ、暗記してきたが、印刷はしてこない。
でも、間違えてないね、その確信はこの通り名。
アレジア
しばらく行くと、交差点に。
たしか、はっきりとした交差点では、2つ目だ。
左は線路だから、右に曲がる。
Alise Ste-Reine(アリーズ・サント・レーヌ)
この町に、古戦場があることは調べてきた。
ここ右折に間違いあるまい。
アレジア
目の前にも丘が広がっているが、おそらく、ローマ軍シーザーは、これらも含めて、ぎっちり丘を囲んだのに違いない。
この辺りには、ローマ兵が・・。
そんなことを考えながら、歩いてゆく。
2017.08.22

アレジアの古戦場へ行く1

ローマのシーザーを迎え撃ったヴェルサンジェトリクスの銅像が、古戦場に立っている。
ナポレオン3世が建てたのだそうだが、おそらく、そこが、陣だったのであろう。
丘になっている。

スミュール・アン・オーソワが目的地なのだが、ホテルのチェックインタイムまでの時間を利用して、やってきた。
レ・ローム・アレジア駅からも、スミュール・アン・オーソワへのバスが出ているからだ。
アレジア
そんなに時間もないから、アレジアの古戦場の先にある、フランスで最も美しい村に登録されている、楕円形の缶の飴で有名なフラヴィニーや、アレジアの博物館などへはいけない。
時間的にどれか1択だから、この古戦場到達を目指すことにした。

線路沿いを行く。
古くさい、かわいらしい列車が止まっている。

のどかな緑に映える赤。
2017.08.15

アレジア駅のプレート

アレジアの闘いの2000年を記念しているプレートなんでしょう。
1949年。
第二次世界大戦終結後すぐというところがね。
アレジア
ヴェルサンジェトリクスとカエサルが、この平原で戦ったことと、ヴェルサンジェトリクスの名誉をたたえるのでしょうが、最後の平和というところにも、1949年当時の人々の願いも入っているんだろうなぁと思わせます。