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2020.03.12

逆さリュセルヌ・ドゥトゥルメール

水と建物があれば、逆さなんちゃらを撮りたくなるのだ。
揺れていない水面に逆さの建物が写れば、まるで、この旅すべてが大成功したかのような得した気分に浸ることができる。
もっとも、そういう刹那は、長くは続かない。
ただし、その刹那を得るには、その場までわざわざ足を運ぶわずかな努力が必要だ。
池に映る逆さリュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院
もっとも、ここまで宿から10キロ歩いてきた身にしてみれば、ベットから起き上がる程度。
さはいえ、疲れている時は、ベットから起き上がりたくないこともある。

旅は、自分だけが得られたというバイアスがかかりやすい。
苦労しても小さなことで幸せに、ポジティブになりやすい。
旅はめでたいというオチですね。
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2020.03.02

リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院 紫陽花

花屋で花を買ったことは、おそらく片手で足りる。
興味の問題でもあるし、文化的側面には金を使わないからかもしれない。
また、芸術的素養の問題かもしれない。

花が日常の人は、タバコのように、お菓子のように、牛乳を買うように、花を買うのかもしれない。
リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院 ピンクのアジサイ
そんな素養であっても、写真を撮ると、色のある花は、被写体にしやすい。
下手糞な写真を、そこあげしてくれるありがたいそんざいだ。
これは、動物にも言える。

カラーのものをきれいだと感じる部分が人間には備わっているんですかね?
だからこそ、人の目には、カラーに見えるのかもしれませんね。
2020.02.19

リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院寸景 緑

偶然出会う風景の方が美しいことが多い。
ハッと気がつくから、その瞬間だけ出会える、美しい風景ということだろう。
それには、特に何というタイトルのない風景であることが、ほとんど。
いつ、どこで、出会うかわからない。
リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院寸景 緑の向こうのレンガの建物

残念なことは、そのときにカメラを持っていないか、または、撮っても、思ったような写真にすることができないことだ。

でも、そういう風景に出会うときは、清々しい気持ちになりますね。
2020.02.07

リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院の鳩小屋

筒状の建物。
なんこりゃ?

colombierコロンビエというらしい。
後で辞書で調べてみれば、これは鳩小屋なのだ。

どうやら、小さな穴が、鳩の部屋。
まあ、鳩アパートということになる。
リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院の鳩小屋
この国の人は、鳩を食べるが、教会でも食用だったんだろうか?
これだけの鳩がいれば、今で言う、携帯電話を持っているようなものだったのだろう。
通信網になる。
ま、情報は、巨大な権力や組織には、いつの時代重要ですね。
権力闘争が、人間進歩の歴史なのだとすると、悲しい動物ですね。
2020.01.29

リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院の壁

修道院の構内マップを、見ると、この壁は、aqueducとある。
水道橋のことらしい。

ニューヨークの競馬場に、aqueduct
アケダクト競馬場というのがあるが、これも、同じ語源から来ているのだろう。
おそらく、水は、アクアだし、そのダクトということになるか?

フランス語でダクトは、コンデュイット。
そういえば、コンデュイットという、馬が、輸入されていたなぁ!
どこまでも、競馬とつながってゆく。

そうして、単語を覚えてゆくのだ。
リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院 壁と緑
この写真の時点では、そんなことを考えていない。
ただただ、緑に映える壁が印象的で。
2020.01.20

リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院 回廊跡

バスノルマンディの修道院らしい、正四角柱の鐘楼。
修道院ではなく、大聖堂だと、天を突くような細長い鐘楼が多いノルマンディだけれど、修道院建築では、この正四角柱が多いようだ。
リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院の回廊跡から鐘楼望む
緑の芝を囲むはずの壁を支えていた柱跡も、外界と遮断していたはずの壁跡も、こうして、崩れることで、なにやら、人間臭さを感じられるがゆえに、フランスながら、この場所に侘び寂びを感じられる画になっています。
床の石畳の目地に生える草も、兵どもが夢の跡ではないですが、生命の強さを感じさせますね。
2020.01.08

リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院 回廊跡

フランスの修道院の多くは廃墟なのだろう。
カトリック文化圏でも、フランスやチェコは、宗教色からは随分と遠い印象だ。
こうした建物も、宗教施設というよりは、歴史的建造物という印象が強い。
リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院のクロワートル
回廊は、いわば、心臓部と取り囲む廊下で、外界と遮断された空間を作り出しているのだと思われる。
こういう形式は、日本の古いお寺にもみられるし、世俗との分離壁でもあるのでしょうね。

その回廊が、ここでは、一部崩れ、燦燦と降り注ぐ太陽の日を全面に浴びている。
影となって、濃い緑を見せる芝生は、ここでは、反射光にあふれ、淡い色に見える。
夏の太陽光は、温かく、暑く、人々にとっては、少し騒がしいものなのかもしれない。
光り具合に、太陽の強い意志を感じますね。