2015.09.14
バティニョール墓地にて
17区の北東部分。
ポルト・ドゥ・クリシー駅から程近くに、墓地がある。
街とは反対方向へ歩いてゆく感じだ。

のどかな水戸をまっすぐ行くと、公園の入口がある。
結構立派な入口だ。
ここが、バティニョール墓地なのだ。

目的は、ここに、ヴェルレーヌが眠っていると知ったからであるが、ヴェルレーヌに詳しいわけではない。
彼とは、太陽と月にそむいてという映画1点のみのつながりだ。

ランボーとヴェルレーヌの映画であるが、映画を見たからといって、彼らの詩を読もうと思ったこともないのだが、ここに、ヴェルレーヌ眠ると知ったときから、いずれ、訪れてみようと思っていたのだ。
所詮は、有名人墓地探しのミーハーでしかないのだが。
こうしたときは探すのが大変なのだが、まっすぐ入っていって、一番最初の円形広場の左前方に、彼は眠っていた。
ベンチに座って、ヴェルレーヌを背にして、一つ、彼の詩でも読んでみたら、それはそれで、いい午後を過ごせたかもしれない。
ポルト・ドゥ・クリシー駅から程近くに、墓地がある。
街とは反対方向へ歩いてゆく感じだ。

のどかな水戸をまっすぐ行くと、公園の入口がある。
結構立派な入口だ。
ここが、バティニョール墓地なのだ。

目的は、ここに、ヴェルレーヌが眠っていると知ったからであるが、ヴェルレーヌに詳しいわけではない。
彼とは、太陽と月にそむいてという映画1点のみのつながりだ。

ランボーとヴェルレーヌの映画であるが、映画を見たからといって、彼らの詩を読もうと思ったこともないのだが、ここに、ヴェルレーヌ眠ると知ったときから、いずれ、訪れてみようと思っていたのだ。
所詮は、有名人墓地探しのミーハーでしかないのだが。
こうしたときは探すのが大変なのだが、まっすぐ入っていって、一番最初の円形広場の左前方に、彼は眠っていた。
ベンチに座って、ヴェルレーヌを背にして、一つ、彼の詩でも読んでみたら、それはそれで、いい午後を過ごせたかもしれない。
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2008.06.24
パッシー墓地

とにかく情報がないため、歩き回った。
どうやら、マネ、ドビュッシー、フォーレなどがいることが分かった。
有名人のお墓の位置など、たいてい、入り口の地図に書いてある。
それを見れば分かると思ったのが大きな間違いであった。
その地図は入り口近くに見つかったものの、どこに何があるかは書いていない。
しかし、きっと、お花なんぞできれいに飾られているだろうから、すぐ分かるに違いないと思い、そんなにも広くない墓地散策に歩き出したのだ。
が、である。
歩けども、歩けども見つからない。
BAO DAIというベトナムの王様のお墓だけは、きれいで目立つのですぐ見つかったが、肝心の3人は見つからない。
一番奥は、まあ除いて、ほとんど墓荒らしかのごとく徘徊したが見つからない。
午後、再度、どうやら
ディヴィジョン4=マネ
ディヴィジョン14=ドビュッシー
ディヴィジョン15=フォーレ
という情報を得て、チャレンジするが、地図を見損ねて、ディヴィジョン14と15が一番奥であることに気がつかない。
さらに、墓荒らしかのごとく徘徊は続く。
もしかすれば、ここの奥をのぞいて、すべてのお墓を確認したのではなかろうかというくらい歩いたのである。
あきらめかけたそのとき、マネが見つかった。広場すぐである。なんとも分かりやすい場所だ。
気を取り直し、さらに歩く。
地図を再確認すると・・・・・・・・・・・・・。
なんと、ディヴィジョン14と15は一番奥であった、そこだけは歩いていないという区画である。
なんで、こんなお墓を探しているのか??
縁もゆかりもないが、この音楽家二人は、フランスクラシックの中では結構お気に入りの二人なのだ。
しかもである。
浪人中、パソコンの光栄三国志のゲームにはまってしまったのだが、このゲームの君主が死んだときの音楽は、まさに、フォーレのそれの編曲である。
もはや、墓荒らしの物まね作業も意地の域に到達したとき、ようやくドビュッシーを発見。
そして、5分後、フォーレも発見。
すがすがしい気持ちで、パッシー墓地を後にした。
間違い探しのすべてを発見したような気分である。
ここは、エッフェル塔は墓地の上空に見える。
モンマルトル、モンパルナス、ペールラシェーズは有名な墓地だが、ここは、それほどでもない。
が、有名人がいるのである。
シャイヨー宮でエッフェル塔のほうを向いて写真を撮っている、その背中側、観光客あふれるトロカデロ広場にこの墓地はある。にもかかわらず、静かである。
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