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2020.07.29

Rue Durentin デュランタン通りのうねり

通りは交差点から少し折れる様に伸びている。
しかも、この通りは、駒幕アップダウンしている。
モンマルトルの丘から伸びる斜面の尾根や谷を下る通りを横切りながら行くので、断面はジグザグ。
歩いてみれば、アップダウンの繰り返しとなる。
交差するモンマルトルの坂 うねる道と並ぶ建物 デュランタン通り
トロゼ通りとの交差点付近手前から、撮ったのだが、トロゼ通りを越えれば下り、向こう、バス停付近から登っている。
複雑な地形と建物の織り成す調和が、モンマルトルの風景の楽しさだ。
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2020.07.07

Rue Durentin デュランタン通り

ポマードでカッチリ固めたおっさんが案内してくれる通り。
先々週紹介した、トゥルラック通りの続きのような通りだ。
だが、こちらは、通りの雰囲気はガラリと変わる。
このおっさんに挨拶しても、通してもらえるのは、歩行者だけだ。
デュランタン通りの道標と顔の壁画
建物と建物の壁幅は、変わらない。
しかし、歩道幅が変わることで、車両は通行できないようにしてある。
不思議な歩行者専用部分のあるデュランタン通り
この不思議な情緒ある通りは、まだまだ東へと続いてゆく。
2020.06.26

フォーブール・ポワッソニエ通りの喧騒

ちょっと立ち位置を変えてもう一枚。
REXのRだけ見えてますが、通りの左側の、建物同士が、微妙にガタガタとずれて並んでいる感じがいい。
フォーブール・ポワッソニエ通りのモノクロズーム
現代の建物のように、上から下まで一枚板のように、ぺったりじゃないから、雰囲気が出るのかな?
最も、道もまっすぐじゃないけどね。
一通にしかできない通り幅も、雰囲気に一役買ってます。
2020.06.17

Rue Tourlaque トゥルラック通り

モンマルトルの丘の西側。
コーランクール通りから、西へ降りてゆく通りだ。
黄色の信号を待って、撮ってみた。
トゥルラック通り 黄色信号の坂道の風景
段々になって伸びている。
坂道と交差する坂道なので、道は、斜めにうねりながら降ってゆく。
奥の視界は、大きな木で少し封鎖され、しかも、強烈な高低差だ。
段の向こうの坂は、地面が確認できないほど。
トゥルラック通り 少しズームして赤信号の坂道
今度は赤信号。
も少し寄ってみる。
拡大されると、急な坂道が倍加して強調される。
でも、はるか先まで見渡せるさかみちはいいですねぇ。
トゥルラック通り 立ち位置を変えて、通りの右端からズームして
角度を変えて、レンズを覗けば、向こうの坂道も出現する。
でも、印象的なのは、奥の紅葉と、石壁。

あっ、モンマルトル墓地だったんですね。
大きな木は、墓地のだったんだ。
墓地には美しい木が多い。
壁も味がありますね。
2020.06.08

日の当たるフォーブール・ポワッソニエール通り

右が9区、左が10区。
パリはいろいろなところに、ランドマークがあるが、この界隈では、REXだろう。
白亜の塔と、REXの文字は、遠くからでもよく目立つ。
ちなみに、REXから向こうは、2区だ。
映画館REXの見えるフォーブール・ポワッソニエール通りの喧騒
REXは、映画館。
しかも、全て、フランス語吹き替えでやっている映画館だったはずだ。
アメリカのはやり映画は、たいていここでやってるんじゃないかなぁ。

でこぼこした建物の窓と、ごちゃごちゃする車の屋根が、パリ中心部の喧騒を、伝えてくれる。
2020.05.25

ルピック通りのアパルトマンたち

モンマルトルのこの通り。
明らかに左側が高く、右側が低い。
その理由はわからないが、この形だと、丘の内側の方が建物が高いため、内側になる左側のアパルトマンにも眺望が得られる。
右の建物も、丘の外に向かっては遮るものがないから、眺望はいいはずである。
ルピック通り 左右で高さの違う建物
せっかく丘を取り囲むように走っている通りなのだから、そういう風に建築したとしても、ああ、フランスらしいなと思われるわけである。
日本なら、おそらく、法的な日当たりだけに注意がいき、眺望を確保するなどという事は、同一建築群でない限りなさそうだ。
街ができるのではなくて、街づくりされている。

そう、かってにこの写真から解釈している。
2020.05.12

Rue du Faubourg Poissonniere コローの家

アンブロワーズ・トマ通りから、フォーブール・ポワッソニエール通りへ出る。
トンネルを抜けると、斜め前の建物に石看板が取り付けてある。
たいてい、それは、有名人の家の跡であることが多いが、はたして、そうであった。
カミーユ・コロー。
フォーブール・ポワッソニエール通りのコロー最後の家
この家で亡くなったとここに書かれているから、パリで生まれ、パリで亡くなったんですね。

オーヴェル・シュル・オワーズには、ドービニーの家があるが、コローは、街が好きだったのか、パリが好きだったのか?
ただ、コローと言えば、やっぱり風景。
町に住んで、郊外に風景を見に行き、そして、また絵を描くという人だったんだろうか?などと思いを馳せる。

ドービニーに家にも、壁一面のコローの絵があった。
あそこまで出かけてゆき、酒を飲みつつ、絵について談笑し、夜更けまで話し、泊まって、またパリに戻る。
そんな、生活もしていたのかもしれない。

風景画といえば、シスレー、ピサロ、モネという3人が比較され、並べられる。
そんな額が、オルセーにあったと思うし、こちらも、3人並べて印象派風景画の巨匠のイメージもある。

コロー、ルソー、ドービニーもまた、3人合わせてワンセットの画家の様に記憶しているし、実際、絵をみても、どれがドービニーで、ルソーで、コローか混じってわからない。
たしかバルビゾン派の3人であるが、バルビゾンと言えば、ミレーの印象が強いが、ミレーの絵とこの3人は、またちょっと違う感じもする。