2017.03.01

Rue Edouard VII エドゥアール7世通りの道しるべ

エドゥアール7世通り。
パリ9区、オペラ座近く。
この人はどこの国の王様なのであろう?
英国であった。
エドワード7世。
パリの道
在位中には完成しなかったこの通りなのだそうだが、通り名の表示は、ゴージャスな感じで、普通の青に白字の看板とは趣が違いますね。
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2017.02.28

náměstí Kinských キンスキーフ広場

マラーストラナを南下してゆくと、大きく開けた道の分岐点に出てきた。
Namestiというのは、広場なのだそうだ。
他の広場と違って、なにかに取り囲まれたエリアではなく、道の分岐点がオープンになった場所といった趣だ。
プラハ
ここで、トラムの線路がグニュっと曲がる。
S字になった線路と、相変わらずかわいらしい建物前を行くトラム。
2017.02.27

Parc Martin Luther King マーチン・ルーサー・キング公園

パルクなになにというだけあって、ここは広い。
17区のバティニョール地区の端。

公園にやってくるということは、自分の場合、お昼を食べるためであることが多い。

この公園は新しいだろうに、ベンチは、多くの人ですでに埋まっている。
この国の人は、太陽が好きだから、公園のベンチは、自分の家のベンチとかわらない。
パリの公園
さて、お昼を食べた。
ここはまっすぐ道が続く。
舗装路ではない。
パン食べるにしても、砂ぼこりが強烈だ。
なんとか、歯と歯の間に砂が入らずに済んだけどね。
パンが、目に見えない砂まみれになったんじゃないか?と気になるほどだった。
自分にとって、都合のいい場所は、たいてい埋まっているものだ。
2017.02.26

ジュールジョフラン広場にて

パリに長期滞在するとき、アパートに入る前に1週間ほど仮住まいしたのが、この界隈だった。
いわゆる、部屋借りというやつですね。
別の部屋には、別の人が住んでいる。
キッチン、トイレ、シャワー共同。
パリの道
ここへやってくる前はホテル滞在。
パリ到着と共に高熱をだして、大変だった記憶がある。
そのホテルは13区のプラスディタリー近辺だった。
どちらも、区役所のある広場の近く。

当時6月だった。
ジュールジョフラン駅の階段を登って、この広場に出ると、明るい!
明るい日差しにあふれていた。
18区役所は、いつも日陰の暗い顔を覗かせていた。
2017.02.25

サン・ヴァアスト・ラ・ウーグの城塞めぐりの危険

ブンブン虫の飛ぶ藪を抜けてようやく、外周が終わり。
そこに、こんな看板が立っていた。
サン・ヴァアスト・ラ・ウーグ
どうやら、危ないと思った場所に、Zone de DANGERとZone a RISQUEの文字。
ここが、Depat(出発)の場所なわけです。
サン・ヴァアスト・ラ・ウーグ
そもそも、反時計回りがここの正式ルートだったんですね。
時計回りに回ってきました。

釣りしているおじさんも、たそがれるお兄さんも、Dangerの場所でのこと。
どうかご無事で。
2017.02.24

Jardin Paul-Didier ポール・ディディエ庭園の車座ベンチ

細長い道のような公園の一角に、わずかなスペースを使ってベンチが置かれていた。
パリの公園
ベンチって、横並びに座ることはできても、なかなか、向かい合わせになるようにはおかれていない。
ここは、対面になるわけじゃないが、3人で討論するには、もってこいの向きだ。
なんて、作った人が考えておいたんですかね?
あえて作ったのではなくて、デッドスペース有効利用を思いついたのだと思う。
でもね、議論好き、いやいや、自分の意見を言い続けるフランスの人たちならではの発想にも思える。

ベンチはかわいらしいよね。
子供でも、お年寄りでもOKだ。
2017.02.23

Viale Gorizia ゴリツィア通りをゆくトラム

夕暮れ時、運河脇を通るゴリツィア通り上を行くトラム。
ミラノといえば、この黄色のトラム。
古い型のものは、プラハ同様、哀愁がありますね。
ミラノ
この辺りは水景が多いためか、なんとなく、流れる風を感じる風景が多い。
飲みながら語らうか?
帰って夕飯を食べるか?
あくせくしない夕暮れ時はいいですね。

日本の都心では、自分のためには使うことのできない時間帯になってしまっているのかもしれません。
欧州より、夏の夕暮れ時は圧倒的に短いですがね。