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2022.02.27

競馬ブログのワードプレス化が、遅々とそして確実に前へ進む

ブラーニーストーン
脳の障害後、ブログのアップを試みるのだが、一つは、このサイト。
とはいっても、ブログをやるのには、ひとくろう。
あっという間に時間は過ぎてゆく。

今一番は、競馬ブログのワードプレス化であるが、なにしろ、新しいことを自分の脳は最も不得意とするらしい。
やってやろうじゃぁないの!
とはいっても、なかなか前へは進ませてくれない。

手術前なら、半日で、もしくは、1週間ぐらいでできたかもしれないことを、もう、ひと月以上格闘している。
が、まだできない。
でも、確実に前には進んでいる。

このブログなら、いつ前回やったのか思い出せないので、もうずいぶん経つのだと、記録をみてびっくりする。

この写真は、2013年に、エースの馬に帯同していった日本の馬。
そして、このフランスのロンシャン競馬場のレースに出走した。

こうしたバックアッパーも、馬の世界にもいるのである。
そうして、なにかしらの経験を、多くの人にもたらしてゆく。

今年の春ごろには、ワードプレスの競馬ブログを開始したいものだなぁ。
ひとりでは、全く前に進まないので、脳を手伝ってもらいつつになるのだが、少し前に進めたということは、手伝ってもらった人の多大なるお陰と、自己脳が数ミリでも前に進んだことになるかな?
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2022.01.10

高次脳機能障害 5w1h チェコ語 準備すべきこと

ワードプレスをやることを目標にしている。
その間に、チェコ語の申し込みはしたと思っていたのだが、いつから始まるのか?分からなくなってしまった。


たしか、木曜の日付で申し込んだから、13日からであると思いたい。
で、とりあえず、メールでいつからでしたっけ?と聞いてみた。
本当に迷惑な話だけれど、ごめんなさい。
こちらも、その覚えていられない不安度は半端ない。
不安になるのが、忘れて思い出せないことが増えた時というのが、参っちゃうんだけどね。
覚えていられたら、まあ、不安にならないからね。
あとは、100パーセント忘れた時も、不安にはならないね。記憶ないんだから。


さて、ということで、やっている事、やったことなどを、どうまとめておくか?
それが課題。


今は、クリアファイルを、壁に貼り付け、案件ごとに入れているんだけれど、入れたことも忘れてしまう。
特に時間が経つと、なんだったか?分からなくなる。


今回のチェコ語の申し込みの様に、申し込んでいるのか、申し込んで、払い込んでいるのか、いつから始まるのか?
そうしたことが、全く分からなくなる。


大事な事は、何をするかと、どうやってやるかでもあるが、どう管理するか(どう覚えておくのか?)も重要であるということ。
こういうこと、あんまり考えずに、記憶に頼って生きてきたから、本当につらいんだよね。
やり切ったところで満足しちゃうから。


ま、そうはいっても、これからの事もあるし、考えないとね。


今は、喫茶店でブログしているけど、今日の午後からは、
何を、
どこまで、(ゴール)
いつ、
いつまでに、
なにした
次いつ何をする
をまとめるとしますか。




チェコ語授業
申し込み
済み

チェコ語授業
支払い
いくら
いつ
済み

チェコ語授業
何日開始 when
何時開始
必要な準備(参加方法、入館方法)where + how
必要な物(教科書 ノート 録音機の録音と手順 ペン 辞書(ウェブ))what
who 自分?




ま、今日の午後チェコ語他、家の部屋を、整理してみますか。
Posted at 10:33 | その他 | COM(0) | TB(0) |
2022.01.08

ワードプレスにチャレンジ1

健常者時点からレンタルサーバーを借りている。
だが、借りているだけで、あれやこれやはやっていない。
ホームページを2つ3つやっているだけだ。
しかも、最初の方でホームページをアップすると、そのまま、ほったらかしになり、どんなことしていたか、はっきりと覚えていない。
もう、何年前だったかも覚えていない。
もったいないといえば、もったいないね。
やっているというか、倉庫借りっぱなしというのに近い。

その、何年か前に、GMOのレンタルサーバーに変えた。
GMOに吸収されて、GMO内で、もっと安いコースに変更したんだったと思う。たしか。

過去の記憶で覚えているのは、それだけだ。おぼえているというか、思い出した。



そんなところに、今回の手術あり。

さて、サーバーは何を使っていたのか?
どうやって、ホームページを作ったのか?
おそらく、最初はホームページなんかをやっていることも、ブログのことも。
いやいや、自分が何者で、どこにいるのかも。


そいうことは、思い出せなかった。
病院ということは、わかっていたと思います。


ただ、インターネットを開くと、レンタルサーバーのサイトへのリンクが保存していたので、レンタルサーバーをそこで借りていることは思い出せた。

で、そのサイトを見ると、ワードプレスを使えるようだ。
当然、設定は、自分ですることが前提であろう。
ただ、問合せはできる。

ということで、今週、年明けから、それにチャレンジ。


ま、なにしろ、頭が回らず、記憶できないから、メモは重要だ。
とはいえ、メモも上手に取れないし、その時はわかるように書いたつもりでも、後で見ると分からない。

メモも、どこにとったか、記憶しておけなくなるので、メモノートは、仕事と仕事以外位に冊数を絞っておかないと、どこにメモしたかわからない。
人にもよるんだろうけど、僕の場合、メモは決めておかねば、後で探すのに相当な苦労がいる。
探すことを断念するしかなくなる。
わずか、数時間後にでもだ。

一冊は仕事用で、会社に。
一冊は、持ち歩き用。

競馬他のブログをやるワードプレスは、むろん仕事用ではないから、持ち歩き用。
これは、決めておかないと、メモを探せなくなるのだ。
なにしろ、何分か前に、行ったばかりの喫茶店の向かいの席に置いた袋が、リュック等の裏になって、視界から消えているだけで、置いたところを見つけられなくなりますからね。
はっ?、嘘だろ!と他人にも、自分にも、思われ思うほど、見つけられない。






まあ、こう言うと、”そんなの、自分にもあるよ!”と言われるんですが、自分と自分の比較では、ここまでは過去にはないかな?
めったに。
確かに、ZEROではなかったと思うけどね。

ま、大事な事は、起きたことが、過去にある”程度”であるかどうかではなくて。
自分が言っていることが、正しく、他人に”伝わるかどうか”ではなくて。
”あきらめず、腐らず、続けられるかどうか”の為ですからね。
あと、こういうことが起きた後の強烈な疲労感が違うかな。
自分は、大変なのに凄い!と思っておけばいいんです。

自分、大変なのに凄い!!!と思うことが、今回もっとも大事で、最も言いたいことですかね!!(笑)
いやいや、もっと言えば、あきらめないことが、最も大事ですからね。
どんだけかかったっていいんです。


とにかく、ワードプレスでブログを始められる手前までたどり着いた。
電話で言われたとおり、メモも書きつつ・・・。

そこまでたどり着けたのだが、もう、その手順等の記憶は、上記に書いた程度にしか覚えていない。
ま、ここまでの事、こういうことは、何度もすることにならないと思うからね。
よしとします。


ま、術後の最初からすれば、やれることは、どんどんやってみる、調べてみるで進むのみです。

さて、このブログ アップし忘れ2日が過ぎた。
ログインしたら、アップされずに残っている。
なにか、しようと考えたんだろうけど、もう思い出せないからね、アップしとく。
Posted at 08:47 | その他 | COM(0) | TB(0) |
2022.01.02

あけましておめでとうございます。

昨年、高次脳機能障害になりました。
脳底動脈瘤というやつが1センチほどに達していたそうです。
ま、手術したいといったのは、自分であるし(即答した記憶、しっかり残ってます)、手術後退院してきたので、入院中もそうでしたが、ポジティブな結果であるし、非常に満足しています。
先生たちには、ほんとに感謝しかありませんね。
現時点では、術後、半年強経ってます。
職場復帰もしました。
高次脳機能障害というのが、どんなかを、体験を、ブログに残しておこうと思ったわけです。
競馬もね、多分。



これから、徐々に良くなっていくのかもしれないし、どこまで良くなるのか分かりませんが、日記を書くことにします。
ま、実はこのブログではなく、別のブログに書くつもりなのです。
ワードプレスを使ってやろうと考えてます。
が、この記憶障害の身でどこまでそんなことができるのか分かりません。
あれやこれや言っていると、何もできないので、以前の旅ブログのここにネタ貯めておきます。
このブログのパスワードとかも、自宅帰宅後に蘇ってきたことですしね。
ワードプレスは、徐々に勉強してみます。
メモ他つかって、記憶できれば、途中からワードプレスのブログになります。




発覚は、一昨年のコロナ禍中の夏。
コロナ禍の関係で、手術が伸び、昨年の5月に、発覚から10ヶ月ほどして手術となりました。
術後は記憶がないので、なんで、ここ(病院)にいるのかもわかっていませんでした。
ちょっと前のことも、全く記憶がないのです。




リハビリが始まった時、リハビリの先生を見て、涙がでてきました。
ただ、その時、リハビリの先生の顔はちゃんと認識してました。
先生の顔は覚えていました。
1度目に手術と2度目の手術の間にリハビリしたのかな?
きっと、そういうことなんでしょうね。
そこでしか、先生と知り合いになりませんから。



”知っている”先生とのリハビリでしたから。
だからこそ、ほっとしてか、知っている顔を見たからか、車イスという自分の境遇と重ね合わせたら、なんだか、涙がでてきました。
ちなみに、車イスは、多分1週後には乗らずに、歩きに変りました。

今記憶に残っている範囲は、術後1ヶ月ぐらいして、集中治療室をでるときくらいからです。
その以前の記憶はありません。ほぼ、ありません。

家族や、先生とも、面談していたりするみたいで、きちんと話をしていたみたいですが、全く記憶にありません。

術後の最も古い記憶は、2度目の手術の直前のベット移動なのかな?(相当あいまいですが、多分)。
なんか、こっちのベットに移ってと言われたんですね、多分。
現時点でも、その時の記憶は、モヤモヤです。
Posted at 18:47 | その他 | COM(1) | TB(0) |
2020.07.31

ボルドーの自由の女神

ボルドーのサンジャン駅に到着した。
ポワティエ経由の在来線特急だ。
移動時間が長い分、遠くの土地へやってきたぞと、荷を背負うのも気合が入る。
ボルドーのピカール広場に立つ自由の女神像
しばし、うろうろすると、観光局らしきものが駅コンコース内に。
そこで、たしか、一週間券を買った。
もう、買い足す必要もないし、チケットどうするか考える必要もない。
気の向くままに、公共交通機関を使える。

トラムで、最寄りで降りると、宿へ向かう。
途中、コインランドリーと、パン屋と、スーパーと、自由の女神を発見。
宿へチェックインしたら、洗濯中に、パン屋とスーパーへ行き、乾燥中に、自由の女神の写真を撮る。

脇にある木とガラスのボックコロナの今は難しいけど、こういう共有はいいね。フランス人らしいか。
2020.07.30

ヴィエシェフラッドの民族墓地から望む聖ペテロ聖パウロ教会の屋根

チェコでは、とあるチェコ人によれば、神を信じる人は少ないそうだ。
その点、フランスとも似ている。
それでも、フランスもそうであるが、墓地と教会は、セットになりがちだ。
まあ、日本の、お寺とお墓と日本人の宗教観ともちかいかもしれません。
ヴィエシェフラッドの民族墓地から隣の教会の屋根を望む
教会を訪れる前に、墓地の緑越しに、尖塔の屋根を一枚。
細身の身廊の教会にかんじますね、ここからは。
2020.07.29

Rue Durentin デュランタン通りのうねり

通りは交差点から少し折れる様に伸びている。
しかも、この通りは、駒幕アップダウンしている。
モンマルトルの丘から伸びる斜面の尾根や谷を下る通りを横切りながら行くので、断面はジグザグ。
歩いてみれば、アップダウンの繰り返しとなる。
交差するモンマルトルの坂 うねる道と並ぶ建物 デュランタン通り
トロゼ通りとの交差点付近手前から、撮ったのだが、トロゼ通りを越えれば下り、向こう、バス停付近から登っている。
複雑な地形と建物の織り成す調和が、モンマルトルの風景の楽しさだ。