2018.06.21

Vnislavova ヴニスラヴォーヴァ通り ヴィシュフラットの紅葉

木々が多いからかどうか?
プラハは、秋を感じる風景が多いような気もする。
パリに比べると。
プラハ
紅葉ですけど、緑の部分が多いですね。
何の木なのかわからないのですが、重量感感じる紅葉ですね。
ぱりの並木は、もっともっと、軽い感じで、
プラハは、森の中の都という感じもしますね。
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2018.06.20

フトリエ通りの道しるべ

道の写真を撮るときは、記憶記録用に、道しるべをとることにしている。
そういう習慣づけをしておかないと、どこか忘れてしまうからだが、おかげで、つい見落としてしまいそうな部分も見つけられる。
撮った時じゃなくて、後で写真を見た時ということもある。

莫大な数の写真を撮るから、あとで見るのは何年もあとになることもあるが、ブログのおかげで、とりあえず、写真の復習はできる。
パリの道
パリのモンマルトルの丘、東斜面に、側道のように伸びる通り。
その通り名の看板は、建物が塗り替えられる前から、壁に貼りついていいたことはわかる。
道しるべの上にまで、ペンキが進出してきてますからね。
まあ、フランス人の仕事ぶりって、確かに、こんな感じかな?とも思いますね。
これは、いい意味でも、悪い意味でも。
おそらく、目的と程のバランスは、きっとこれで取れているのだと・・・。

もう一つ、Iの文字の上のハートマーク。
おそらく誰かが、後から足したものに違いないけれど、これも、フランスらしいですかね。

雑だけど、必要十分ないい加減さ。
絵心。
2018.06.19

マルセイユ海岸散歩 白亜のお城

イフ城を眺めながら歩いていると、白亜のお城が海岸沿いに見えてきた。
旗がたなびく、なんだか豪華な建物。
マルセイユ
どうやら、タラソテラピーとか、温泉とか、そういう施設らしい。
海沿いのこうした場所には、こういう古い建物を使った保養施設も、きっと多いのだろう。
マルセイユ
シャトー・ベルジェ。
お城は、私をお呼びではないので、写真を撮って、素通りするだけです。
南国感あふれる建物ですね。

秋も更けると、やっぱり寒くて暗い北よりも、少しでも暖かい南が恋しくなりますね。
2018.06.19

Rue de la Fontaignotte フォンテニョット通りの壁

限りなくモノトーンの世界ですが、緑と街灯のオレンジ筒がアクセント。
バルは淡いブルー。
ここの何の装飾もない壁が、とてもいい味だしてます。
スミュール・アン・ノクソワ
わずかな汚れというのか、シミというのか、年月を風雨に耐えてきた壁の味が、この道に情緒を与えてます。
ゴテゴテとした建物じゃ、”特別”過ぎてうるさいし、一見なんの変哲もない感じが、こういう空気感を生むんでしょうね。
まったく何も無いようで、ゴミも何もないという、人間の手を入れた空間が、この細い通りの縦長の空間を、澄んだものにしてくれます。
2018.06.18

マルセイユ海岸散歩 白亜の館

イフ城を見ながらぶらぶら歩いていると、白亜の建物が現れた。
海沿いですから、タラソテラピーとかスパとか、そうした施設であるのらしい。
マルセイユ
建物自体も、100年もののようであるが、ずいぶんと瀟洒なたてもの。

シャトー・ベルジェというのだそうだ。
こうした、文字看板は、そういえば、シャンパンの町のランスや、エペルネーで見たなぁ。
たしかに、シャンパーニュの似合いそうな建物。
マルセイユ
なかなか、中に入ってというのは、自分には縁がなさそうであるが、目の前から、写真だけとって、再び散歩は続く。
気持ちだけは、豪華な気分に浸りつつ。
2018.06.17

ヴロツワフ市電横顔

トラムのいいところは、バスっぽいところ。
電車、地下鉄じゃ、なんだか、遠いところに連れていかれるけれど、その間を埋める庶民の足。
そういうところが、魅力だし、そういうところを通ってゆくから、単体ではなく、街の風景の一つとなる。
ヴロツワフ
このトラム、細長いんで、どうしても、そっちに気をとられるんだけど、横顔をとってみた。
なあ、生活感がでるかな?っていうのもあって。

広角で撮ったというのは、よーくわかるほどのゆがみ具合ですが、ま、庶民の足っぽさは、感じられるかな?
切り取ってしまえば、鉄道写真じゃぁなくなりますしね。

もっと、もっと、いろんなパターンも撮ってみたいですねぇ。
2018.06.16

ミラノ サンタンブロージョ教会の入口にて

回廊に囲まれた中庭部分を進むと、奥に、回廊のある身廊が出てくる。
フランスの場合、回廊は、身廊脇にあることが多いと思うので、ちょっと新鮮な感じがします。
そういう意味では、法隆寺なんかも、回廊の奥に講堂がある。
ミラノ
こういう構造自体、きっと、陸海を通って、日本へ伝わったのだろうと思われる。
外にあれば、アプローチに意味があり、内にあれば、その内部にいる者たちに関係のある場になっているんでしょうね。